巨人戦で悪夢「手が握れない」 大胆な姿勢が招いた“神様”の怪我「無理だと思った」

元阪神・狩野恵輔氏、新たな“代打の切り札”として存在感
元阪神捕手の狩野恵輔氏(野球評論家)は外野手転向を経て、代打としても力を発揮した。プロ15年目の2015年は、当時の“虎の代打の神様”関本賢太郎内野手の故障離脱中に、その代役を務めて結果を出した。「もう代打で生きていこうと決めていました」。9月に死球を受けて右手第5中手骨を骨折して離脱となったものの、めげることなく前を向いた。金本知憲氏が監督に就任した2016年は新たな“代打の切り札”として存在感を示した。
狩野氏は腰痛によるコンディション不良もあって2012年オフに育成契約となった。そこから懸命に立ち直り、2013年7月には支配下に復帰したが、1軍でなかなか結果を出せず、2014年には一時引退も覚悟した。そんな中、同年8月29日に1軍昇格し、その日のヤクルト戦(甲子園)にスタメンで起用され、1号本塁打を含む3安打4打点と活躍。それをきっかけに自信を取り戻して現役続行への思いが“再点火”した。
ソフトバンクとの日本シリーズにも新井貴浩内野手の故障で急きょ呼ばれて、第2戦(10月26日、甲子園)に代打で出て左前打。11月11日の日米野球第1戦(甲子園)では巨人阪神連合チームに招集され、代打から右翼守備に就き、3打数1安打1打点と奮闘した。「バッティングでどうにかなるかなと思いました」。2015年は2軍スタートだったが、開幕8試合目の4月4日に右脇腹痛の今成亮太内野手に代わって1軍昇格となった。
「『狩野、行け!』って言われて(1軍に)上がって、その日の試合(巨人戦、東京ドーム)に代打で出てヒットを打ったんです。ヒットを打って、次の日は凡打、またヒット打って次の日凡打みたいな感じで、最初、5割くらい打ったんですよ」。実際、4月14日終了時点で8打数4安打の打率.500。これで代打としてのチャンスをつかんだ形にもなった。「代打の切り札だった関本さんが、その年調子が悪くて僕の代打も多くなっていったんです」。
マスコミ報道などで阪神では“代打の切り札”が“代打の神様”と呼ばれていた。当時は関本がその役割だったわけだが、狩野氏の代打成績も決して負けていなかった。6月に関本が故障離脱している間は“代役神様”も務めて結果も出した。「自分では言っていましたよ。『レギュラーを狙っています』って。そう思っていないといけないというのがあったんで。でも野球界で生きていくのはそんな簡単じゃない。代打で生きていこうと決めていました」とやる気になっていた。

「“切り札”はいいけど“神様”ってなんやねん」
だが、好事魔多し。9月10日の巨人戦(甲子園)でアクシデントに見舞われた。6回裏に代打で出て、中堅守備に就いて迎えた9回裏、その日の3打席目でのことだった。巨人・澤村拓一投手から右手に死球を受けた。「澤村のシュートを狙ったんです。普通だったら狙わないんですけど、澤村はシュートがいいってわかったから、それをレフト線くらいに打ったろうの気持ちでいたんです。そしたら想像以上にきていたんですよ、シュートが……」。
打ちに行った分、よけられなかった。そのまま出塁したが「全然手が握れないし、これは無理だと思った」。検査の結果、右手第5中手骨骨折。翌9月11日に登録抹消となった。それで狩野氏の2015年は終わった。代打を中心に66試合、84打数23安打の打率.274、3本塁打、13打点。状態がよかっただけにもったいない怪我だった。「悔しかったけど調子がいい時こそ慎重にってこういうことなんだろうなと思いました。大胆にいきすぎてのデッドボールだったんでね」。
それでも代打として手応えをつかんだ年。怪我を引きずらずに2016年シーズンに突入した。阪神はこの年から金本監督体制。狩野氏にとってお世話になった恩人の1人だけに自然と力も入った。2015年限りで関本が引退し、新たな“虎の代打の神様”として勝負どころで起用されて結果も出した。もっとも「僕はメチャクチャ嫌だったです。(マスコミ報道などで)“神様”と言われるのが。“切り札”はいいけど“神様”ってなんやねんって思っていました」とも……。
そんな“代打の切り札”だった狩野氏は当時をこう振り返る。「(代打だった時の)関本さんや桧山(進次郎)さんはムチャクチャ準備するタイプだったんですけど、僕は別に……。だいたい『狩野、いくぞ』って言われてからとか、そろそろ出番がありそうかなと思った時から準備していました。それまではベンチで声を出していました。そういうタイプでしたね」。
2016年の狩野氏は66試合、87打数21安打の打率.241、3本塁打、17打点。数字的には前年とほとんど同じだったが、プレッシャーなどはかなり違ったことだろう。簡単にこなせる仕事ではない。注目を集める阪神の“代打の切り札”役を務めたプロ16年目は貴重な経験にもなったに違いない。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)