恐怖を感じる練習で「どこ投げてもいい」 元ロッテ右腕を支えた恩師たちの温かな言葉

ロッテ在籍時の島孝明氏【写真提供:産経新聞社】
ロッテ在籍時の島孝明氏【写真提供:産経新聞社】

「どこに投げてもいいから」救いとなった小野コーチの言葉

 現在、慶大大学院でイップス研究に取り組む中、島孝明さんは、今でも現役時代に支えとなった恩師たちとの絆について思い出すことがある。10メートル先の捕手にすらボールを投げられなくなった絶望の日々。21歳の若さで現役を引退したが、そんな島さんを救ったのは、指導者たちの温かな言葉と行動だった。

 2017年ドラフト3位でロッテに入団した島さんは、入団後の夏頃から突然、思うようにボールをコントロールできなくなった。そんな島さんに手を差し伸べてくれたのが当時の2軍投手担当だった小野晋吾コーチだった。ロッテ浦和球場で行われた特別なキャッチボール。周りの目を気にせず、ただボールを投げることだけに集中できる環境を作ってくれた。

「小野コーチが一緒にキャッチボールをしてくれて、その中で言われたのが『どこ投げてもいいから、これだけ振ってこい』という言葉でした。僕はその言葉に救われた部分もあるし、本当に感謝しています」

 実際に投げてもボールはあちこちに飛んでいった。しかし、小野コーチは何も言わず、黙々とボールを取りに行ってくれた。結果を求めず、ただ投げる行為そのものを肯定してくれる存在が、どれほど心強かったことか。

「やっぱり投げていかないと自信を持てない。あのキャッチボールがあったから前に進めた部分は大きかったです」

 この経験が転機となり、島さんは徐々に投げることへの恐怖を克服していく。約半年間の地道な取り組みを経て、2年目の9月、ついに実戦のマウンドに戻ることができた。3人で抑えて三振も奪った復帰登板。小野コーチとの二人三脚が実を結んだ瞬間だった。

結果を求めない指導が生んだ転機

 昨年11月14日、ZOZOマリンスタジアムで行われた12球団合同トライアウト。引退から5年の時を経て、島さんは背番号40のロッテユニホーム姿で再びマウンドに立った。最速151キロを記録し、話題になった。

 投球を終えた直後のことだった。投げ終わった後にベンチからロッテ・吉井理人監督が出てきて、握手を交わしたのだった。

「あの瞬間は本当に感動しました」

 吉井監督は島さんの現役時代、1軍のピッチングコーチとして指導にあたった恩師だ。通常、他のチームが出場しているトライアウトに1つの球団の監督が本拠地内とはいえ、ロッカールームから出てくることは珍しい。監督が特別にマウンドまで歩いてきた。その行動に込められた想いを、島さんは深く理解していた。

「当時、吉井さんは多分僕に続けて欲しいという気持ちがあったと思います。『本当によく投げたな、よかったな』と言ってくれました。あの握手は忘れられません」

 島さんが現役復帰よりも研究者の道を選んだ理由は明確だった。自分にしかわからないイップスの苦しみを、同じ症状で悩む選手のために役立てたい。絶望を知る者だからこそ、救える人がいる。

 現在の島さんの原動力には、恩師たちから受けた恩がある。小野コーチが示してくれた『結果を求めない指導』や、吉井監督の『選手への深い愛情』が研究で選手を支援する際の指針になっている。

 悩める選手たちへのアドバイスでも、島さんは恩師たちから学んだ姿勢を大切にしている。イップスに悩む選手から直接連絡を受けることもある。

「技術的な指導だけでなく、まずはその選手の気持ちに寄り添うことから始めています。一つの方法として、自分の研究が役立てばと思っています」

 来年3月の修士課程修了を控えた島さんは、野球界への恩返しを誓う。小野コーチや吉井監督のように、困っている選手に手を差し伸べられる人になりたいと願う。

 かつて絶望の淵にいた右腕は、恩師たちの温かさに包まれて立ち直り、今度は自らが希望の光となって野球界に貢献しようとしている。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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