プロ注目も拭えぬ不安「かなり迷った」 頼った父から思わぬ言葉…人生を変えた“遠回り”

西武で活躍した金子侑司氏は京都・立命館宇治高で注目の存在に
西武で2度の盗塁王を獲得するなど活躍した金子侑司氏は京都・立命館宇治高時代にプロから注目される選手に成長していたが、立命大への進学を選んだ。憧れのプロ入りが現実的なものとなり18歳の心は揺れたが、父の言葉で断念。大学で野球を続ける決意を固めた。
「生意気かもしれないですが、甲子園にはあまり興味がなかったんです。甲子園に行くために高校野球をやるのではなく、プロ野球選手になるためにやっている、という感覚でした」
甲子園には縁のない3年間だった。1、2年の時は負けたことに悔しさを募らせたが「甲子園に行けない悔しさはなかった」という。しかし3年になると仲間たちと聖地の土を踏みたいと思うように。しかし最後の夏、福知山成美高との決勝戦では2回が終わった時点で0ー7。「これはダメだと正直思いました」。2-8で敗れ、高校野球を終えた。
2年の終わり頃から野球専門誌に名前が掲載され、スカウトが視察に訪れるようになっていた。漠然としていた「プロになりたい」という思いは「やればいけるかも」と現実味を帯びた。3年の引退時には関東圏の球団が本腰を入れているようだとの情報が入っていた。
「実際のところ、かなり迷いました。行ける時にプロに行った方がいいのでは、と。大学に行ってどうなるか分からない。怪我、病気をするかもしれない。焦った気持ちになりました」。家族や高校の監督と何度も話し合った。プロへの憧れと不安が交錯した。
大学進学で「一生付き合える友達を作れ」
そんな中、「大学に行け」と強く勧めていたのが父だった。「そこで人生が終わるわけじゃない。大学で人として学んで、それからでもプロは目指せる。4年でダメならそれが実力」。父自身が大学に行きたかったが行けなかった体験も明かされた。「お前には行ってほしい。世界を見てほしい」。父の思いだった。
「大学で20歳も超えるし、酒も飲める。一緒に酒を飲んでバカをやって、一生付き合える友達を作れ。プロに入ったらそういう友達ができるか分からない」
熱い言葉だった。「自分もまだ子供だったので、父は僕のことを考えてくれたんだなと。ありがたいですよね」。プロへの道が開けていた18歳が決断した“遠回り”。その後の野球人生をより豊かなものにした。
(湯浅大 / Dai Yuasa)
