2時間46分…呼ばれぬ名前に「野球辞めようかな」 指名漏れの危機、侍左腕が籠ったトイレ

仙台大・渡邉一生【写真:川浪康太郎】
仙台大・渡邉一生【写真:川浪康太郎】

仙台大・渡邉一生はオリックス育成4位指名

「プロ野球ドラフト会議 supported byリポビタミンD」が23日、都内で開催され、仙台大の渡邉一生投手がオリックスから育成4位指名を受けた。強豪高校から通信制高校に転校し、クラブチームでプレーしたのちに仙台大に進学した異色の経歴を持つ。ドラフト開始から2時間46分後の指名。渡邉は涙で目を真っ赤にしながら記者会見場に現れた。

「高校3年生の時は育成ドラフトにもかからず、親元を離れて4年間大学で野球をやって、たくさんの人に迷惑をかけながらもプロ入りしたいという思いを強く持ち続けてきた。今日も指名がないまま時間が流れて、『今回も無理かな』『もう野球を辞めようかな』という気持ちでいたのですが、呼ばれてよかったです」

 渡邉は声を上ずらせながら心境を明かした。チームメートの平川蓮外野手が広島から1位指名を受け、堀越啓太投手(西武4位)らライバル選手も次々と名前を呼ばれる中、一向に歓喜の瞬間は訪れなかった。支配下ドラフトが終了した時点で指名漏れを予感。いてもたってもいられず、待機部屋を離れてトイレに籠もった。指名されたと聞き部屋に戻り、現実だと知ると、自然と涙が溢れてきた。

 横浜市出身の渡邉は地元の強豪・日大藤沢高に進学するも、2年冬に日本航空高の通信制課程へ転校した。「甲子園にこだわらなくても、甲子園に出なくても、プロ野球選手にはなれる」との考えで父に勧められたクラブチーム「BBCスカイホークス(現・GXAスカイホークス)」でプレー。当時も多くのNPBスカウトが視察に訪れたが指名はなく、仙台大に進んだ。

 大学では1年春から公式戦に登板し150キロ台を計測。怪我による長期離脱を経て復帰した3年春は直球に加えて自身が「お守り」と称するチェンジアップも光り、リーグ戦で4勝、防御率0.27をマークして最優秀選手賞、最優秀投手賞、ベストナインに輝いた。さらに大学日本代表にも選出され、渡邉の名は一気に全国区となった。

苦しんだドラフトイヤー「あの時手術したのが…」

 一時は「ドラフト1位候補」と目された渡邉だが、大学最終年は苦しんだ。昨年11月に手術をして以降は調子が安定せず、4年春は直球の勢いに陰りが見えた。4年秋は肩を痛めて再び離脱し、復帰後もリーグ戦で四死球を連発するなど本来の実力を発揮できず。思い描いていたドラフトイヤーとは程遠く、手を引く球団も少なくなかった。

「正直、指名されるまで、『あの時手術したのが間違いだったかな。手術をせずに投げ続けていたらどうなっていたんだろう』と自分の選択を責めてしまっていました」と渡邉。育成指名とはいえプロへの第一歩を踏み出し、ようやく苦悩から解放された。

 公式戦のないクラブチーム時代は「自分がプロに行けたらそれでいい」と「ひとりよがりの投球」をしていたが、仙台大では「師匠」とあがめる先輩・川和田悠太投手(現・三菱重工East)らと接する中で考えが変化。「チームの勝利のために投げる」投手へと変貌を遂げ、結果を残せなかった日も降板後のベンチで声を出したり、バット引きを買って出たりしてチームのために動いた。技術面はもちろん、精神面の成長も証明した4年間だった。

「(高校時代からの知り合いである)佐野怜弥が仙台大に誘ってくれたのが分岐点となり、素敵な仲間に出会って、監督やコーチ、先輩たちが未熟な自分を見捨てずにずっと向き合ってくれた。そういう人たちのおかげで少しずつ成長できたので、この大学に来てよかったです」。幾多の苦難を乗り越え、こじ開けた夢への扉。目標とする「ドラフトキング(その年の一番の当たり選手)」を目指し、再出発を切る。

(川浪康太郎 / Kotaro Kawanami)

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