高校生・達川光男に「お前は口で失敗する」 入部1か月で見抜かれた素質…恩師の金言

元広島・達川光男氏【写真:山口真司】 
元広島・達川光男氏【写真:山口真司】 

達川光男氏は広島商時代の名将・迫田監督に師事

 恩師との出会いが野球人生の流れを変えた。元広島の扇の要・達川光男氏は1971年、強豪校の広島県立広島商に進学し、名将・迫田穆成(よしあき)監督に徹底的に鍛えられた。師が発した言葉にはひとつひとつに重みがあり、どれも印象深いそうだが「私はすぐに性格も見抜かれていたよ」とも話す。「お前は絶対に口で失敗する」「お前は群れたら絶対駄目」など、鋭く指摘されたという。

 甲子園に憧れ、第1志望の広島商に合格した達川氏は、レベルの高い名門校でもまれていった。自宅から通い、1年生は朝練前にグラウンド整備があるため「毎朝4時45分起きだった」という。「(小学3年から中学3年まで)新聞配達をしていたので、朝早いのは気にならなかったけど、睡眠時間は短くなった。中学までは新聞配達があるから早い時は(午後)7時、8時に寝ていたけど、高校は練習が終わって帰ったら(午後)11時を過ぎることもあったからね」。

 もっとも、そう言いながら達川氏は「だけど、1日の平均睡眠時間は8時間きっちりとっていたよ」と笑う。「授業中にやっぱりちょっと……。こればかりは人間の生理現象だから……。授業を聞いていたら、聞けば聞くほど眠たくなってきたんでね」。そんな“睡眠時間”をプラスすれば8時間になっていたらしい。加えて早弁も当たり前だったとか。「昼休みはバント練習があったからね、(早弁も)やらなきゃ、どうしようもなかった」と話した。

 そんな感じで始まった広島商時代だが、恩師・迫田監督の存在は何よりも大きかった。「迫田さんにはね、1年で入って1か月くらいで、もう性格を完全に読まれていましたね。おそらく学校の先生たちから、いろいろ情報も仕入れておられたんだろうけど、すぐ言われましたよ。『お前は絶対に口で失敗する』って。『お前はひと言多い』って。『小遣いをもらっているか』と聞かれて『若干もらっています』と言ったら『ちょっとでいいから貯金しろ』って。で『一生食べていけるくらい貯めろ』ってね」。

 さらには「『お前は群れたら絶対駄目だ』って。『悪い方にいくから、一匹狼になれ』とも言われた。人間はひとりでは生きていけないけど、ひとりでも生きられるような強い人間になれ、ってこと。『お前は人に頼るな』ってね」とも明かす。当時は、いずれも何気なく聞いていたのかもしれないが、気がつけば、どれもズバリ当てはまっていたということだろう。だからこそ、何年経っても忘れられない言葉にもなっているようだ。

尽きぬ思い出「勝つ方法を説かれていた」

「1年が全員集められて『甲子園でサヨナラエラーしても許してもらえる選手になれ』とも迫田さんには言われた。そのためには練習の態度とか、そういうことだって説明されました。あの時、私はちょっと変わった人だなって思いましたよ。まだ甲子園に出たこともないのに、私たち1年は球拾いをしているのに、何を言うのかなって。でも、そうやって影響を受けていったんですよね」

 迫田監督との思い出は尽きない。「あの人の座右の銘は“創意工夫”という言葉だったんだけど、あともうひとつ付け足すとしたら『一の人生』って言っておられた。一の人生、一の野球。もう一日、一日しかないし、野球も1球目があって2球目があって、1球のボールをみんなで追っかけるという。一の野球こそプレッシャーに打ち勝つ方法ということを説かれていた」とひと言、ひと言を噛みしめるように話した。

「『お前たち、明日決勝だけど緊張しているか。緊張している人は手を挙げろ』って言われて全員が手を挙げた。そしたら『よし、これでいい』って。『緊張しない人はな、責任感がない。責任感があるから、緊張するんだよ』ってね。いろいろ勉強させられた。教育されましたよ」。達川氏はそんな迫田監督の教えを受けて、日々、成長していった。

「迫田さんは優勝しても絶対喜ばない。(監督の)胴上げは『絶対しない』と。『2位のチームに失礼だ。負けて悲しみにくれている相手の前で喜びは表さない』ってね。だから私たちの決め台詞も『2位のチームのおかげで優勝できました』だったよ」。達川氏は1973年の広島商3年夏に甲子園制覇も経験するなど、その野球人生は高校時代に大きく飛躍するが、もちろん、それも迫田監督抜きでは考えられない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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