広島の名門で過激な練習「命を落とす寸前」 日本刀の上に立ち…上半身裸、忘れぬ鍛錬

達川光男氏は広島商で現代では驚きの練習に臨んでいた
過程にはいろんなことが……。元広島正捕手の達川光男氏は1973年の広島県立広島商3年時に春の選抜準優勝、夏の甲子園優勝の輝かしい実績を持つ。それは数々の修行を乗り越えてのことでもあった。2本並べた日本刀の刃の上に立つ真剣刃渡り、寒い冬場の上半身裸練習、ろうそくの火が消えるまで続ける素振り……。それらを経験したことによって、心が鍛えられ、集中力が高まり、どんな大舞台でも常に落ち着いて行動できるようになったという。
広島商時代を振り返りながら達川氏は「私もいろんな修行をしましたよ」と語った。「広商野球部は精神野球に徹すべし」「日日一挙一動を精神修養の場と心得 自らを律すべし」「特にグランドは精神野球修練の道場にして命懸けの真剣勝負の錬成の気持ちを持って臨むべし」「全神経を傾注する一の練習は並の十の練習に勝ることを知るべし」などの野球部員心得を覚えることから高校生活は始まったが、数々の修行もすべてその一環だった。
有名なのが、2本並べた日本刀の刃の上に立つ真剣刃渡りだ。これについて達川氏はこう話す。「あれはね、本当に真剣の刃の上に乗るんですよ。渡るんじゃなくて乗るんです。怪我しないように乗る集中力っていうけど、プラス、技もいる。1人で乗ったら切れるよ。こっちとあっち(の両側)に同じくらいの背の人がいて、その肩を借りて、そこへ3秒から5秒くらい立つわけ。肩を持つ力がグッと。それが大事なんだよ。それがコツなんですよ」。
もちろん、臨むには気持ちを落ち着かせなければいけない。それが心を鍛えることになるのだが「ギリギリのところで、命を落とさないところでやるのが修行。真剣刃渡りも命を落としたら駄目なわけですから。命を落とす寸前の、もうあの究極のところまでやるのが修行。それ以上やると無謀。それは修行じゃないんですよ」と達川氏は説明する。何事にも意味がある。それをしっかり理解した上で取り組んでいたわけだ。
さらにこう続けた。「冬の寒い日に(春の)選抜の練習。“選抜では雪が降ったり、こんなもんじゃないよ”と上半身裸でね。真っ裸になるわけにはいかないから、ユニホームの下だけは着ているけど、ストッキングは脱ぐわけ。裸足ですよ。寒いですよ。それでノックを受けたりする。素手でゴロ捕球もしたけど、手の平で捕る感覚を養うためで、それで骨折するようなことはない。これもね、骨折するようなことをしたら駄目なの。怪我をするような行は行じゃないわけですから」。
1973年の広島商3年時に甲子園大会で春準優勝&夏優勝
名将・迫田穆成(よしあき)監督の下で達川氏は修行を重ねたが、その上で「私らの最後の行は、感謝という行なんですよ」と口にした。「何でも常に誰を見ても感謝できるように、ということで、お皿の上に1本のろうそくを立てる。部屋を真っ暗にして、ろうそくに火を灯す。それが消えるまでピッチャーはシャドーピッチング、バッターは素振り。迫田さん曰く。『ろうそくは身を減らして人を照らす』。ろうそくは自分を犠牲にして、最後に自分の役目を終えるという……」。
人のために自分を捧げるとの意味も込められた修行で、その根底にあるのが感謝だ。ろうそくの火は1時間ほどで消えるが、シャドーピッチングも素振りも集中力を高めて行い続ける。「私たちは腹式呼吸をずっとやっていたので、その呼吸法でね。ピッチャーはノーアウト満塁スリーボールから相手を打ち取る、もうボールを投げたら終わりだという状況(想定)でろうそくに向かってシャドーピッチング。バッターはツーアウト、ツーナッシングから相手と勝負できるぐらいにね」。
達川氏は1973年の広島商3年時に、甲子園大会で春準優勝、夏優勝を経験する。それは広島商ナイン全員が大舞台にも臆することなく、戦えたからでもあるが、これもまた限界ギリギリのところで繰り広げられた数々の修行の成果であったのは間違いない。「今やったらコンプライアンスにひっかかって、とかもあるのかもしれないけど、私たちはすべて修行だと思ってやっていた。迫田さんには感謝ですよ」としみじみと話した。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)