日本一も監督と握手だけ…周囲は疑問「何で」 “ただ見ていた”胴上げ、貫いた一匹狼

達川光男氏は1999年から広島監督を務めたが、2年連続5位に終わった
最高の褒め言葉だった。元広島捕手の達川光男氏は1992年の現役引退後、指導者としても多くの経験を積んだ。ダイエーでは1軍バッテリーコーチを務めて、古巣・広島では2軍監督を経て1軍監督に就任し、懸命にタクトを振るった。さらには阪神、中日、ソフトバンクでもコーチとして各チームを支えた。いずれの時代でも思い出がいっぱいある中、ソフトバンクヘッドコーチとして日本一になった時の恩師からのメールは忘れられないという。
現役生活を広島一筋で終えた達川氏は1995年シーズン、王貞治監督が1年目のダイエーで1軍バッテリーコーチとして、初めてカープ以外の球団のユニホームを着た。王監督に直接、電話で誘われたという。1年で退任したが、それが指導者人生のスタートだった。1998年には2軍監督として広島に復帰し、1999年からは1軍監督に昇格。残念ながら2年連続5位と結果を残せずに責任をとる形で辞任した。
「監督の時の優勝が一番嬉しいって、監督になったほとんどの人が言いますよね。選手の時の優勝とは違うってね。やっぱり監督は激務というか、責任の重さの違いじゃないかと思います。みんなの運命がかかっているわけですからね」。広島監督時代に、それを経験できなかったのは無念だっただろうが、その後、他球団のコーチでVに貢献した。
2003年は阪神・星野仙一監督の下、1軍バッテリーコーチとしてリーグ優勝、2017年、2018年は工藤公康監督体制のソフトバンクでヘッドコーチとして2年連続日本一を味わった。達川氏はこんなことを明かす。「2017年にソフトバンクで日本一になった時、(広島商時代の監督で恩師の)迫田(穆成)先生からメールが来たんですよ。『ようやく一匹狼になったな』って」。達川氏は1971年の広島商1年時に迫田監督から「お前は群れたら絶対駄目。悪い方にいくから一匹狼になれ!」と言われていた。それから46年の歳月を経てのことだ。
ドラマ「ドクターX」冒頭の言葉に共感「迫田先生が言ったのと一緒」
「あの時、私は胴上げに参加しなかったんですよ。終わって工藤監督と握手してサッとロッカーに入って、胴上げが終わるまでそこにいた。(周囲からは)『何で』とか言われましたけど、主役は監督、日本一になった時点で自分が表に出ることはないということでね。迫田先生はそれをテレビで見てくれていたんだと思う。メールはうれしかったですよ。最高の褒め言葉だな、わかってくれるのは、やっぱりこの人だけだなと思いました」
群れるな。自分の意思を曲げるな。貫いて行け……。達川氏は「振り返ってみたら、私は高校の時から一匹狼で動いてきたと思う。友達はいるけど、親友はといえば……。(元広島投手で同い年の)大野(豊)は親友だけど、彼も群れないタイプ。まぁ一匹狼同士だから、うまくいっているんじゃないかなぁ」と話す。それをソフトバンク日本一の時に、恩師もメールで、ついに一匹狼として認めてくれた。なおさら胸が熱くなったようだ。
達川氏が「一番影響を受けた」という迫田氏は2023年12月1日に帰らぬ人になった。「一匹狼の深い意味とかも聞きたかったけど、一昨年、亡くなってしまって……」と寂しそうに話したが、それまでにもらった恩師からの数々の言葉は、それこそ、すべてが財産になっている。加えて「私はね、(テレビ朝日系で放送された米倉涼子主演の人気医療ドラマ)ドクターXの(冒頭の)言葉も必死に覚えましたよ」と関連づけた。
「『群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ。外科医大門未知子、またの名をドクターX』だったかな。私はあれが大好きなんですよ。これって、迫田先生が言ったのと一緒だな、こういうことなんだな、と思いながらね。あ、(大門の名セリフの)『私、失敗しないので』は『僕、失敗だらけです』になりますけどね。私はひと言、多いから」。“一匹狼”の達川氏はそう言って、笑みを浮かべた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)