星野仙一氏、70歳で死去 選手として監督として球史に刻んだ足跡

北京五輪では日本代表監督を務めた星野氏【写真:Getty Images】
北京五輪では日本代表監督を務めた星野氏【写真:Getty Images】

率いた3球団すべてでリーグV、2013年には楽天で日本一

 楽天の取締役副会長を務めた星野仙一氏が1月4日、死去した。2017年にエキスパート表彰で野球殿堂入りしたばかりだった。 

 星野氏は1947年、岡山県児島郡福田町(現・倉敷市)に生まれる。倉敷商業時代は、甲子園出場はないが、1学年下の松岡弘、岡山東商の平松政次と並び称される好投手だった。 

 明治大学では、名将・島岡吉郎監督の指導を受けてエースに成長。1968年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団した。この年は星野氏のほか、法政大学の山本浩二、田淵幸一、故・富田勝、近畿大学の有藤通世、藤原満、さらに福本豊、山田久志、加藤秀司など、球史に残る名選手を輩出した空前の豊作ドラフトだった。 

 中日では1年目から主力投手として活躍。星野氏は先発と救援を掛け持ちした。1974年にセーブ制度が導入されると10セーブを挙げて初代セーブ王。この年、沢村賞も受賞している。 

 特にONとの対戦には闘志を燃やした。長嶋茂雄とは111打数26被安打7被本塁打20打点、被打率.234、王貞治とは195打数62被安打24被本塁打53打点、被打率.318。王貞治への本塁打配球24本は平松正次の25本に次ぐ2位。先発、救援で14シーズン活躍し、通算146勝121敗34セーブ。打者としても優秀で、654打数134安打15本塁打59打点、打率.205。1975年には4本塁打を記録している。 

 引退後は解説者、そしてNHKのスポーツ番組のMCに。若々しく、颯爽としたキャスターぶりで全国的な人気を博した。早くから中日の監督候補だったが、1987年にコーチを経ることなく監督に就任。2年目の1988年にリーグ優勝。1991年までと、1996年から2001年までの2期にわたって中日で采配を振るった。 

 翌2002年には阪神監督に就任、2年目の2003年に優勝したがこの年退任した。2008年には北京五輪の監督となったが、日本代表は4位に終わり、メダル獲得はならなかった。2011年には楽天監督に就任。2013年は田中将大が24勝0敗と球史に残る大活躍を見せるなどし、リーグ初優勝、日本一を遂げた。2014年に退任となった。 

 監督としては3球団すべてでリーグ優勝、17季で1181勝1043敗53分、勝率.531、Aクラス10回。勝利数は史上10位。引退後は、楽天の副会長として球団の経営にあたっていた。 

 2017年、エキスパート表彰で野球殿堂入り。享年70歳だった。セ・パ両リーグの野球に精通、人望が厚く人気もあっただけに、その早すぎる死が惜しまれる。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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