「チームで一番偉いのは誰やぁ!」 怒りに震えた名将…エースを襲った“サイン無視”の罠
「阪急ブレーブス」は1989年シーズンから「オリックスブレーブス」になった。本拠地は阪急と同じ西宮球場だった。その後、1991年に「オリックスブルーウェーブ」に変わり、グリ…
「チームで一番偉いのは誰やぁ!」 怒りに震えた名将…エースを襲った“サイン無視”の罠
「阪急ブレーブス」は1989年シーズンから「オリックスブレーブス」になった。本拠地は阪急と同じ西宮球場だった。その後、1991年に「オリックスブルーウェーブ」に変わり、グリ…
契約交渉で激怒「ここでは野球できません」 前年最多勝に衝撃提示…直訴した「どっかに出して」
NPB通算112勝右腕の山沖之彦氏は、阪急時代の1987年に19勝を挙げてパ・リーグ最多勝に輝いた。しかし、プロ7年目の1988年は7勝止まり。チームはオリックスに“身売り…
T-岡田氏が生涯オリを決めた理由 初めて明かす「FA騒動」の舞台裏…坂口氏も驚いた“登場”「出てきたやん」
T-岡田氏が初めて明かす「FA騒動」の舞台裏。坂口智隆氏も「出てきたやん」と驚いた試合出場。オリックス残留の決め手になった打席での“異変”。
8日間で先発3度…コーチに「狂うじゃないですか」 驚きの被弾、届かなかった20勝「萎えた」
大躍進のシーズンになった。阪急(現オリックス)右腕の山沖之彦氏は1987年、キャリアハイの19勝をマークしてパ・リーグ最多勝に輝いた。この年も思い出がいっぱい。オールスター…
医師から「もう、やめとけ」 パンパンの右肘、歯磨きすら支障…契約交渉の“破談”が呼んだ悪夢
体が悲鳴を上げた。プロ3年目の1984年にパ・リーグ最優秀救援投手に輝いた山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)だが、4年目(1985年)は7勝14敗6セーブと数字を落とし…
練習漬けで「腰の皮がむけた」 コーチから“最後通告”…1勝→翌年19勝で最多勝
元阪急・オリックスの主軸投手・山沖之彦氏はプロ5年目の1986年を14登板、1勝5敗の成績で終えた。6月中旬に右肘痛で離脱。シーズン終盤の9月には何とか復帰できたものの不本…
リーグ優勝も「うれしくなかった」 望まなかった転向…指揮官に反発、オフに伝えた“本音”
自然と闘争モードに切り替わった。山沖之彦氏は阪急ブレーブスの1984年パ・リーグ優勝に抑え投手として貢献した右腕だ。25セーブポイントで最優秀救援投手のタイトルも獲得した。…
不満爆発でビールかけ不参加 胴上げ投手は辞退…喜べなかったV「こんなタイトル、いりません」
上田利治監督率いる阪急ブレーブスは1984年、パ・リーグを制した。1978年以来、6年ぶり10度目の優勝だった。元阪急右腕の山沖之彦氏は、その立役者の一人。シーズン早々に先…
タイトルも優勝も「嬉しくなかった」 酷使&酷使も上がらぬ給料…痛感した“格差”
プロ2年目の1983年に山沖氏は15勝をマークし、大エースの山田久志投手と今井雄太郎投手とともに“先発3本柱”と称された。1984年も3月31日の開幕戦(対ロッテ、西宮)が…
全裸で聞いた絶叫「勝ったぞぉ!」 9回に痛恨被弾も…窮地救った激レア“14文字”
痛い出来事も乗り越えた。191センチの長身右腕・山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は、プロ2年目の1983年に15勝をマークした。1年目の7勝からのジャンプアップとなっ…
「明日雨やから」コーチの一言で狂った夜 ドラ1右腕を襲った罠…記憶喪失の“悪夢”
1981年ドラフト会議で阪急に1位指名された山沖之彦氏は、プロ1年目(1982年)に30登板、7勝15敗1セーブ、防御率3.84の成績を残した。史上初の新人投手で開幕戦セー…
ドラ1入団も…待っていた衝撃「あ、無理」 キャンプで苦痛だった1時間半、悟った“現実”
衝撃を受けた。長身右腕の山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は専大から1981年ドラフト1位で阪急に入団したが、いきなり「“あ、これは無理”と思った」と話す。1982年1…
1球団だけ指名拒否「行きません」 険悪なはずが…4年後に待っていた結末「外れやろ」
元阪急・オリックス、阪神投手の山沖之彦氏は1981年11月25日のドラフト会議で阪急から1位指名されて入団した。当初は専大から、出身地・高知の社会人野球・四国銀行に進む考え…
ドラフト15日前…人生を狂わせた東京⇔高知「言われるのも嫌」 銀行内定ドタキャン「しゃくにさわった」
191センチの長身右腕・山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は専修大時代、エースとして活躍した。1981年の4年秋は7勝を挙げて、東都リーグ制覇に貢献した。1977年春の…
練習で自ら骨折「やってられん」 先輩の「誰や」に自暴自棄…それでも殴られた2年生エース
あまりの出来事に……。高知県立中村高から専修大に進学した山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神投手)は1979年の大学2年春の東都大学リーグで2部転落の屈辱を味わった。専大は…
プロ拒否も…破談になった法大進学 コンクリ2時間正座は「当たり前」、サイン首振りは“不可能”
元阪急・オリックス、阪神右腕の山沖之彦氏は1978年、高知県立中村高を卒業し、専修大学に進学した。当初は法政大に“内定”していたが、高校3年の1977年12月になって、中村…
スカウトにブチギレ「どこにも行きません」 プロ“お断り”決意…強烈に拒んだ1球団
思わず口にしてしまった。1977年、高知県立中村高3年の山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神投手)は春の選抜準優勝右腕となってブレークし、プロからも逸材としてマークされた。…
選抜準V→県初戦敗退で「監督とコーチが丸刈り」 想定外の結末に謝罪「負けるはずはないと…」
高校生活最後の夏は“まさか”で幕を閉じた。1977年、春の選抜準優勝の高知県立中村高エースだった山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は、その年の夏に甲子園へ戻ることはでき…
甲子園で感じた“違和感”「うわぁ、これも」 拡大するゾーン…快勝続けた一因
元阪急・オリックス、阪神投手の山沖之彦氏は1977年の選抜高等学校野球大会で、部員数12人の“二十四の瞳旋風”を巻き起こした高知県立中村高のエースだった。春夏通じて甲子園初…
甲子園決定で「部員急募」も“全員スルー” 12人で大会へ…「誰も入らなかった」裏事情
NPB通算112勝を挙げた山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)は1976年、高知県立中村高2年秋にエースとして高知大会を制覇。四国大会で準優勝を飾り、同校を初めて甲子園出…