投票権の不正譲渡の発覚で物議 米国野球殿堂入りの選出方法における是非とは

アメリカ人にとって野球殿堂は神聖なものか?

 さて、冒頭で紹介したレバタード記者だが、BBWAAにより1年間の会員資格剥奪と殿堂投票権の永久剥奪という処分が科された。同記者が最も問題視していたのは、BBWAA会員しか投票権を持たない、という点だという。そこで、広くファンの意見を募ったDeadspinに投票権を譲渡し、より「民主的な意見」を反映させることで、抗議の意味合いを強く持たせたかったようだ。

 レバタード記者の主張は頷ける部分も多いが、問題は抗議の仕方だろう。10年連続で野球を取材した記者だけが得られる“特権”を誇りと考えている記者も多い。それをタブロイド要素を多分に含んだインターネットサイトに譲ったことは権利と責務の放棄とも言えるだろう。ファンの意見を大切にしたいというのであれば、自身がファンに意見を求め、それを参考に自分の責任の下に投票すればいい。あるいは、現行制度に不満があるというのであれば、白紙投票で意思表明もできたはずだ。仲間の米メディアの反応は大半が冷めたもので、レバタード氏の記者としての功績を認めながらも「軽率な売名行為でしかない。がっかりだ」とバッサリ切り捨てている。

 いずれにせよ、今回の一件で思い知らされたのは、米国野球殿堂がアメリカ人にとっていかに神聖なものであり権威のあるものか、ということだ。そして、それに関わる記者、選手、ファンたちが、まるで一国の政治のあり方を討議するかのように、日々野球について真剣な議論を繰り広げている。アメリカ人やアメリカ社会にとって、野球は単にスポーツやエンターテイメントとして以上の意味合いを持つ特別な存在なのかもしれない。

【了】

佐藤直子●文 text by Naoko Sato

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