何度も逆境を乗り越えた苦労人 大記録逃すも球史に名を刻んだバリオス

今季は宮崎キャンプから評価が上昇、長年の苦労が報われたバリオス

 支配下選手として初めてキャンプインを迎えた14年だが故障で出遅れると、さらに大型補強の煽りを食らった。この年、チームは李大浩やスタンリッジ、ウルフ、サファテらを補強し、バリオスの1軍登板はわずか2試合。オフに戦力外となり、1度は退団が発表されたのだが、3度目の育成契約を結ぶことになった。

 元々、球団も戦力になるとは考えていたが、右肘手術や右肩への不安があり、どれだけ投げられるのかを疑問視。育成契約にし、不安が解消されれば、支配下に戻すという考えもあった。それは彼の育成契約での年俸が育成選手としては破格の3000万円(推定)だったことからも推測出来るだろう。

 今季は育成契約ながら、宮崎キャンプで主力中心のA組に加わると、今季から指揮を執る工藤公康監督、佐藤義則投手コーチら首脳陣の間で日に日に評価が急上昇。オープン戦8試合で防御率1・04と好投を続けると、開幕直前の3月24日に自身3度目となる支配下登録を勝ち取ったのだ。

 キャンプからの好投に加え、昨季、不動のセットアッパーだった五十嵐がキャンプ中の故障で出遅れて、リリーフ陣に穴が空いたことも大きかった。150キロ超のストレートとブレーキの効いたナックルカーブが最大の武器。変化球でカウントを取れるところも、工藤監督、佐藤投手コーチの評価が高い点だった。五十嵐が抜けた穴に、首脳陣が育成選手のベネズエラ右腕を据える決断をしなければ、日本記録に並ぶまでの活躍はなかった。

 プロ野球新記録こそ逃したが、これが今季初めての失敗。ペナントレースは43試合が終わり、残りちょうど100試合。ここから先、何度もバリオスがチームを救う場面はあるはずだ。

 3度の育成選手契約、そして、3度の支配下選手契約。異国の地で、何度も浮き沈みを味わった。ようやく報われた4年半。ベネズエラ出身の苦労人は、今では工藤ホークスに無くてはならない存在になっている。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY