【小島啓民の目】努力していると言えなくなった瞬間 王貞治氏の生き様物語る“小さなコブ”

想像を絶する王氏の「努力」

 すでに現役を引退され、数年が経過していたはずですが、26歳という年齢だった現役の私とも比べ物にならなかったですね。これが、ホームラン王となる礎(いしずえ)だと思いました。王さんは努力の人とよく言われますが、おそらく努力の中身は他人が想像している以上に凄まじいものであったと思います。

 中学生に「どうしたら上手くなれる?」と質問すると、よく「努力することです」と答えます。さらに「どんな努力をしているの?」と問いかけると、「バットを毎日振っています」と返ってきます。

 確かに努力していることには間違いではないでしょう。ただし、バッティングを向上するためにバットを振るのは当たり前のことであり、それが努力に値する内容になっているのか? と考えてほしいものです。王さんのふくらはぎを見た瞬間に、私は王さんのこれまでの凄まじい生き様が目に浮かびました。

 その瞬間に「自分もそこそこ努力してきた」と思っていたことが、恥ずかしくなったことをいまだに覚えています。「努力しています」なんて簡単に言えることではないのですよね。全身全霊を持って事にあたる時に初めて、努力していると言えるのでしょうね。

 しかし、そうは言っても、努力なくして、進歩なしです。

【了】

小島啓民●文 text by Hirotami Kojima

小島啓民 プロフィール

kojima
1964年3月3日生まれ。長崎県出身。長崎県立諫早高で三塁手として甲子園に出場。早大に進学し、社会人野球の名門・三菱重工長崎でプレー。1991年、都市対抗野球では4番打者として準優勝に貢献し、久慈賞受賞、社会人野球ベストナインに。1992年バルセロナ五輪に出場し、銅メダルを獲得。1995年~2000年まで三菱重工長崎で監督。1999年の都市対抗野球では準優勝。日本代表チームのコーチも歴任。2000年から1年間、JOC在外研修員としてサンディエゴパドレス1Aコーチとして、コーチングを学ぶ。2010年広州アジア大会では監督で銅メダル、2013年東アジア大会では金メダル。侍ジャパンの台湾遠征時もバルセロナ五輪でチームメートだった小久保監督をヘッドコーチとして支えた。2014年韓国で開催されたアジア大会でも2大会連続で銅メダル。プロ・アマ混成の第1回21Uワールドカップでも侍ジャパンのヘッドコーチで準優勝。公式ブログ「BASEBALL PLUS(http://baseballplus.blogspot.jp/)」も野球関係者の間では人気となっている。

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