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谷繁兼任監督、プロ野球記録3018試合出場 名捕手誕生の原点は名投手との出会い

1988年に大洋にドラフト1位で入団してから、足かけ27年。野村克也氏を上回る大記録の背景には、生まれ持った体の強さや環境、歴代の指導者など様々な要因が挙げられるが、一つの例を示すとすれば“魔球”との出会いではないか。

中日

野村克也氏を上回る大記録

 中日・谷繁元信兼任監督がプロ野球最多の3018試合出場を達成した。28日の阪神戦に「8番・捕手」で先発。打率やホームランの数には関心を示さないが「必要とされなければ出られない」とこだわりを見せてきた出場試合数で、ついに日本一となった。

 1988年に大洋にドラフト1位で入団してから、足かけ27年。野村克也氏を上回る大記録の背景には、生まれ持った体の強さや環境、歴代の指導者など様々な要因が挙げられるが、一つの例を示すとすれば“魔球”との出会いではないか。

 高卒1年目で80試合に出場した翌年、ドラフト1位で入団してきたのが佐々木主浩氏だ。2年目には抑えに定着した“大魔神”の武器はフォーク。落差が大きく、変化の鋭い決め球は捕手泣かせだった。

 谷繁も例外ではなかった。佐々木氏の登板時には、キャッチングに定評のあった先輩の秋元宏作氏が起用されるようになった。

 佐々木氏から信頼を得ていないことを感じ取り、次第に出場機会が減っていく現実に危機感は募った。球場に誰よりも早く向かっては、両膝を地面に打ち付け、ワンバウンド捕球の練習を繰り返した。酒を控え、生活リズムから見直した。努力が実を結び、球界を代表する捕手に成長。出場試合数を大きく伸ばすことにつながった。

 記録達成後の会見では3018試合の中で印象に残っている試合に、1998年に横浜で38年ぶりのリーグ優勝を果たした一戦を挙げた。「勝って涙を流したのは、後にも先にもあの時が初めてだった」。優勝が決まった瞬間、マウンドに駆け寄り、佐々木氏と抱き合った。その喜びを味わえたのは、フォークが捕れずに苦悩した日々を乗り越えたから。超一流の投手の超一流のボールとの出会いが、名捕手誕生の原点だった。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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