ロッテドラ3左腕・成田は涙の数だけ上達― 高校恩師が明かす急成長の過去

急成長を遂げた要因とは

 太田監督が成田に助言したのは「配球を自分で組み立てていく」ということだった。いくらボールにスピードがあり、質がよくても打たれることがある。

「どういう風にして打ち取るのか。打者の弱点を1打席で探していく作業をしよう」(太田監督)。

 配球は投手と捕手の共同作業。成田は「キャッチャーに従って任せるばかりではなく、自分も頭を使って考えないといけないと気づかせてくれました」と話す。それでも、昨年のゴールデンウィーク中に行われた八戸学院光星高との練習試合では、競っていた終盤に2点タイムリーを浴びるなど、春先はまだ抑え方をつかみきれていなかった。

 それでも、成田は「コントロールも良くなってきたし、ストレートの伸びが秋までと違う感じがありました」とボールそのものに手応えを感じていた。2年秋の県大会3位決定戦で右手首に打球を受け、のちに右手有鈎骨の骨折が判明するのだが、「怪我のお陰というのもおかしいですが、怪我をしたので下半身を鍛えられました」と言う。

 走り込みの成果は一回り大きくなった下半身が物語っていた。昨年5月下旬の県大会。身長170センチの体から投じられているとは思えない強いストレートと、曲がりの大きな縦のスライダーには目を見張るものがあった。

 そして、この県大会でセンバツ帰りの大曲工を4対3で下した。成田は「自分の考えた配球で抑えることができた」と自信をつかんだ。ツーシームを使えるようになっていたことも要因だが、センバツ大会の大曲工の映像も確認し、相手打者のひとり一人の苦手なところを突けた。

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