ロッテ大嶺祐、沖縄・八重山諸島への想い 故郷のためにできること

「キャッチボール楽しかった」―胸に残った子供たちの言葉

 誰も自分のことを知らなかったらどうしよう。最初はドキドキしながら校門をくぐり、ユニホームに着替え、生徒たちが待つ音楽室に向った。

 杞憂に終わった。「大きい!」。子供たちから大歓声が沸き起こった。笑顔で迎えてくれた。質問攻めにあい、最後は校庭に出て、キャッチボールをした。野球経験者はいなくてもグローブを持っている生徒がたくさんいたことがうれしかった。サインを頼まれ、快く引き受けた。

 訪問に来てくれたお礼の歌を歌ってくれた。「島人ぬ宝」が、心地よく音楽室の中に響いた。大嶺祐も時に目を閉じながら聞き入った。中学生の男子生徒は三線を披露してくれた。子供たちは言った。「今年、テレビで応援するね」。「キャッチボール楽しかった。お父さんとやりたい」。その言葉だけでなんともいえない充実感を感じた。

「今、八重山諸島のどの島もサッカーに圧されて野球をやっている子が減っていると聞いている。自分が所属していた小学校の野球チームも、他のチームと合併しなくてはチームが作れない状態。自分にできることをしっかりと続けていきたい」

 手を振って、学校を後にした。最後に生徒たちには夢を持つことの大切さ、そして夢を諦めないことの尊さを伝えた。みんな目を輝かせて聞いてくれたことが嬉しかった。帰りのフェリー。名残惜しそうに島を離れた。「楽しかった。また行きたいですね」。海風を感じながら、大嶺祐は口にした。

 八重山諸島にはまだまだたくさんの学校がある。自分がプロ野球選手という影響力のある職業についている今、野球の楽しさを少しでも伝え、そして夢を持つ大事さを子供たちにこれからも伝えたいと思っている。背番号「11」は遠い海を眺めながら優しい目をした。

【了】

(記事提供:パ・リーグ インサイト

マリーンズ球団広報 梶原紀章●文 text by Noriaki Kajiwara

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