就職視野の高校球児、“激動の1年” 無名の左腕が引き寄せたプロへの切符

一般企業への就職を視野、「プロのことなんて考えていなくて」

「柔らかさがあって、フォームがきれい。ストレートの球速は130キロ後半。キレがあって、コントロールもいい。スライダーがいい」

 1回戦を6対0で突破した弘前工だったが、2回戦は大湊に3対5で敗れた。この試合にも先発した藤田。身長195センチの長身右腕・内沢航大(法政大進学)のいる八戸工大一の次の試合だったこともあり、スタンドには数名のプロのスカウトの姿もあった。

「高校の時はずっと甲子園を目指していました。プロのことなんて考えていなくて、ただ甲子園を目指していたので。今、こうしているのがすごく不思議な感じです。春の大会の時に自分は分からなかったんですけど、プロのスカウトが見に来ているよという話があって。そこから少しずつプロを意識するようになりました。もし、少しでも可能性があるのなら懸けてみようと思いました」

 きっと、藤田がプロ野球選手を目指していたのなら強豪私立を選択していただろう。それが夢への近道なはずだから。弘前工は春夏5回の甲子園出場があるものの、1989年夏を最後に聖地からは遠ざかっている古豪で、輩出したプロ野球選手はいない。中学3年の時、弘前工の公式戦を見た藤田は「すごくいい雰囲気で、プレースタイルも良くて惹かれました」と志望理由を話す。卒業後は一般企業に就職しようと考えていた。

「プロになりたいなというのは小学生の時から思っていたのですが、実際、簡単なものじゃないですから」

 弘前工では建築科で学んだ。教科書の設計図を写したり、実際に自分で考えた設計図を紙に起こしたり。鉋(かんな)で木を削ることもある。

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