25年前の4番打者が語る広島カープ優勝、そして“愛弟子”新井貴浩の魅力

西田氏が評価する当時のドラフト、「まずは新井を指名したカープがすごかった」

――今年は4番に新井貴浩選手が座ることも多かった広島ですが、新井選手が新人当時、その才能を見抜いていたのが西田さんだったと聞きました。

「1999年に達川(光男)さんが監督になった時、大下(剛史)さんがヘッドコーチで、僕が打撃コーチだったんですよ。その時に、駒澤大学でプロに行きたいヤツがいると。性格がすごくよくて、体力もある。それが新井だったんですよ。ただ、まずは新井を(ドラフトで)指名したカープがすごかったね。

 新井と出会って気付いたのは、バットを振れる力。『こいつ将来よくなるな』ってビックリしたのは、入団1年目か2年目に、甲子園で右中間にホームランを打ったんですよ。あそこは右中間からアゲインストの風が吹く。そこに力強いホームランを打ったのを見て、『こいつ江藤の後釜になるんじゃないかな』って思った。それから鍛えられながら、弱音も吐かずによくやりましたよ。愚痴はどこかで言ってると思うんですけど(笑)」

――達川監督(当時)が新井選手を2軍に落とそうとした時、それを止めたのが打撃コーチだった西田さんだったとか。

「それは大下さんが言ってることで(笑)。僕はあまり覚えてなかったんですよ。インターネットに出てた記事を読んで、そんなこと言うたかなって(笑)。ミーティングの時に、多少そういう話はあったと思うんですよ。ただ言えることは、新井の頑張る姿を見ていたからこそ、僕の提案を達川監督なり大下ヘッドコーチなりが受け入れてくれた。僕は平コーチで、2人が上司なんだから、上司が落とすぞって言ったら終わり。その意見を聞き入れてくれたのがありがたかった。

 僕がよく覚えているのは2年目のこと。新井も一番覚えてるんと違うかな。ある日、神宮球場で新井が点に絡むエラーをしたんです。だから、その後に打席が回ってきた時、達川さんが代打を出そうと言った。それで僕が相談を受けたんだけど、『監督、ここは新井でいきましょう』って推したんですよ。そしたら、その打席で新井は逆転3ランを打ちよった。これはね、そこで結果を出せた新井が素晴らしい。でも、僕も内心『監督、見ましたか? へへへ』って思ったけどね(笑)。

 1軍はミスをしても、それを挽回する結果を出せばいい。結果を出せば、しゃあないなってなるんですよ。もちろん、人間性もありますけどね。新井と出会って気が付いたのは、珍しく性格が純粋なんですよ。あの人から愛される性格は、本当に独特だと思う。野球にも純粋に取り組むしね。ちょっとお茶目なところもあるんですよ。目がよく動くとかね(笑)。フリーエージェントになって、アニキと慕った金本を追ってタイガースに行った。タイガースでプレーする難しさもあったと思うけど、その中で選手会長をやったり、人間が大きくたくましくなった。それからカープに帰ってきて、結果を残してね。ここまでやってこれたのも、新井の人柄だったり、人を惹きつける能力も大きな要因。身につけようと思ってつけられる能力じゃないからね」

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