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「パズルのようだった」元日本代表監督が語るプロ・アマ混合チームの創成期

シドニー五輪に出場したプロ選手は8人、「パズルのようだった」

 大田垣さんが代表監督2年目を迎えた1998年から、国際野球連盟は国際大会へのプロ選手の参加を認めたが、日本はアマチュア選手だけで同年のアジア競技大会に挑んだ。その結果、オールプロ選手で参加した韓国に決勝で敗れ、準優勝に終わった。

「アトランタ五輪はすべての国がアマチュア選手だけでした。1998年の世界大会からプロ選手が参加しましたが、各国ともに(マイナーリーグの)1A、2Aクラスの選手だったので、戦力がアップしたようには感じませんでした。しかし、同年12月に行われたアジア競技大会に出場した韓国は、当時ドジャースに所属していた朴賛浩をはじめとする国内外のオールプロ選手のチームでした。

 その韓国に決勝戦で1-13の7回コールド負け。まさにコテンパンにやられました。投手陣は滅多打ちにされ、打者はメジャーのローテーションピッチャーに2回以降は凡打の山でした。この試合を見ていた野球連盟幹部は、アマチュアだけでは五輪予選の突破も難しいと判断し、プロ選手参加の方向に舵を切ったのだと思います」

 1999年のシドニー五輪予選を兼ねたアジア野球選手権大会からプロ選手が代表チームに参加。予選大会同様に2000年のシドニー五輪でも、パ・リーグから各チーム1人の6人、セ・リーグからは球団プロテクト以外の中から2人の計8人のプロ選手が日本代表に選ばれた。しかし、結果はメダルなしの4位で終わった。

 国を挙げて代表チーム作りに臨んだ韓国は、大会期間中に国内リーグを中断する熱の入れよう。当時大学生だった鄭大炫(現ロッテ・ジャイアンツ)を除く23人がプロ選手だった。一方の日本は、プロ球団から代表に出せる選手の数に制限があった。その中で軸となるプロ選手の選考、そしてアマチュア選手の選考は「はめては外すパズルのようだった」と大田垣さんは話す。

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