「今や知る術もありません」 侍ロッテ石川歩、宝刀シンカー生みの親とは
WBCに挑む右腕が宝物を手に入れた日…「名乗り出てくれる人もいない」
ウソのような本当の話である。侍ジャパンの先発ローテーションの一角を担う事が期待される石川歩の伝家の宝刀・シンカーは偶然に生まれた。それが今や、プロの打者が攻略に戸惑う難球となっているのだから現実は本当に不思議だ。
「誰に教えてもらった? いや、正直、誰だったかも覚えていません。中学校のチームメートの誰かです。『シンカーってどうやって投げるんだろう?』という雑談をして、誰かも覚えていませんが、友達の一人が『こんな感じじゃないの?』って。ああ、なるほど、という会話で投げてみて、ああ確かに、というような感じです。本当に誰だったかなあ…」
WBC公式球を手にマリーンズがキャンプを張る石垣島で連日、ブルペンで熱投を見せる石川は、ふと遠い昔を懐かしそうに振り返った。
実戦投入をしたのは中部大時代。とはいっても、それも困り果てた挙句に出た選択だった。カーブとスライダーだけではなかなか打者を抑えられない。大学で壁にぶち当たり、伸び悩んだ。監督、コーチに指摘された。「もう1種類、変化球があれば違うけどなあ…」。新球をマスターすることも考えたが、自身の中でなんとなく思い当たるものが、脳裏の片隅に一つだけあった。
中学時代に遊びで使っていたボール。野球のテレビゲームを楽しんでいて一番打ちにくかった球種で、それがヒントになり中学の軟式野球部時代にチームメートと一緒に研究してアドバイスをもらい、遊びで身につけた握り。当時、イメージしていたのは高津臣吾氏(現スワローズ2軍監督)のボールだった。