球史に残る10人の野球人の「22歳の夏」

長嶋氏は新人で「1番・三塁」で球宴出場、王氏は「一本足打法」で本塁打

○金田正一 1933年8月1日生まれ
享栄商業を中退して16歳で国鉄スワローズに入団。1955年、22歳の夏(7月15日時点)には、すでに116勝をマーク。セ・リーグの大エースとして川上哲治など巨人の打者に異様な闘志を燃やしていた。

○長嶋茂雄 1936年2月20日生まれ
立教大学時代、新記録となる8本塁打をマークし、スーパースターとなる。1958年、22歳の夏は、巨人のゴールデンルーキーとして人気沸騰中。7月27日のオールスターゲームには「1番・三塁」でスタメン出場する。

○王貞治 1940年5月20日生まれ
1962年、22歳の夏は、早稲田実業から巨人に入団して4年目。長嶋茂雄と主軸を組む大型打者への期待があったが、成績は上がらず。「王、王、三振王!」とやじられる。7月1日の大洋戦、王貞治は荒川博コーチと特訓していた「一本足打法」を初めて実戦で試し、本塁打を打つ。この年38本で初の本塁打王。これが「世界の本塁打王」への第一歩となる。

○落合博満 1953年12月9日生まれ
秋田工業高校から東洋大学に進み、強打が注目されるも大学を中退。プロボウラーを目指すも挫折。アルバイト生活を経て、22歳になる年の夏は1975年。東芝府中工場の臨時雇いの工員をしながら社会人東芝府中で野球を再開して2年目。ロッテからドラフトで指名されたのは3年後の1978年、25歳の時だった。

22歳がルーキーイヤーとなった野茂、松坂はプロ入り初の挫折の年に

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