「あの場所は人を育ててくれる」 辻内崇伸が振り返る甲子園“奇跡の夏”

心に芽生えつつある夢、「将来的に自分が教えてもらったことの恩返しを」

「初回はうまいこといったんです。球速は138キロとかでしたけど、コントロール重視で。よし、これで行こうと自信持って2回に臨んだんですけど、ボコ打ちされて5失点食らいました。スコアラーを見ながら、まだか、まだかと思いながら打たれて。結果的にあの回だけだったのでもったいなかったですよね」

 リミッターを外した3回以降は、尻上がりに調子を上げ、スコアボードにゼロを並べた。すると、7回には田中将大(現ヤンキース)から自身通算3号となる2ランを放ち、反撃を開始する。

「最初の打席で、たしか初球にマーくんからデッドボールを当てられたんです。もう5点も取られているのに、それですごくいらついて。あの打席はもう思い切り振ろうと思って、バーンと振ったら入ったみたいな。感触メッチャ良かったですね。通算3号の人間があの場面で打つなんて、もう奇跡ですよ」

 この一発を口火に一時は追いつき、延長戦まで持ち込んだが、最後は10回に力尽き、5-6で敗れた。それでも10回を投げきり、16奪三振6失点。4試合連続2桁奪三振、当時は歴代2位となる大会65奪三振をマークし、大会を去った。だがその記録以上に、辻内の投球は観ている者の記憶に刻まれた。それは試合を重ねるごとにたくましくなっていく17歳に心を奪われたからだ。

「あの場所は人を育ててくれるんです。あの夏がなければ今の僕はないですから。あの当時は一生懸命やっているだけでしたけど、あの夏が人生を変えてくれました」

 2013年に巨人で現役を引退して4年近くが経つ。現在は女子プロ野球で指導者を務めている辻内の心には、まだ小さいが、ある目標が芽生えつつある。

「大阪桐蔭の指導というのは、自分をこういう投手にしてくれたし、色んな面で大きくしてくれました。今すぐやりたいというわけではないですけど、将来的に自分が教えてもらったことの恩返しとして、子供たちに教えたいなという気持ちはすごくあります。どこの高校とかはないですけど、もしそういう機会があったら、こういう練習もあったんだよとか教えたいですね。甲子園行けたら? ふふっ。そうなればいいですね」

(Full-Count編集部)

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