初めも終わりも緊急登板、同学年コーチが振り返る井口資仁との不思議な縁
共にメジャーを経て再び日本で対戦、マリン最後の登板で井口と向き合う
2011年4月27日の千葉でのデーゲーム。今度はバファローズの小林雅としてマリーンズの井口と対戦した。そして、この時もまた突然の出番だった。
4点ビハインドの7回。先発投手がこの回、2者連続四球で降板をするとブルペンにいる左の吉野誠投手に登板指示が飛んだ。次の左打者に左投手をぶつけ、次の右打者で右の小林雅英を投入。そういう作戦。リリーフカーに乗った吉野を見送り、ブルペンに戻ろうとするとまさかのアナウンスが流れた。「ピッチャー小林雅英!」。ブルペンにいる誰もが焦った。状況としては当時の岡田彰布監督が間違って球審に告げてしまったのだろうと推測されたが、もう後の祭り。呼ばれたからには行かなくてはいけない。グラウンドに目を向けると、リリーフカーは、まだマウンド付近。審判も怪訝な雰囲気を醸し出している。「行ってきてくれ!」。周囲からの声が飛ぶと躊躇せず、リリーフカーに乗る事もできず、走って飛び出した。
幕張の防波堤の異名を持つブルペンから、古巣のマウンドには、それまで204回、向かった。しかし、車に乗らずブルペンから走っていったのは初めてのことだった。走者が溜まり、打席に井口を迎えた。投じたシュートを右中間に破られ、3点適時三塁打を許した。37歳となったこの年まで39回対戦して、これが初めて許したタイムリーとなる。そしてマリンでの205回目のマウンドは、慣れ親しんだ思い出の地での最後のマウンドとなった。数日後に仙台でもう1試合だけ投げ、5月2日に2軍落ち。1軍に戻ることはなく、このシーズン限りでユニホームを脱いだ。228セーブ。名球会まであと22セーブまで迫っていた男は引退試合を行うこともなく、静かに現役に別れを告げた。
「オレは37歳で引退。42歳まで現役を行えるなんて、凄いと思う。自分自身の見えない努力もあるだろうし、持って生まれた頑丈な体もあると思う。この世界で普通はそこまでできない。凄いの一言。今でも打撃練習を見ていると誰よりも打球に力強さを感じる」
投手陣の練習を外野のいつもの定位置から見つめながら、しみじみと語った。寅年の2人は縁があって2015年からコーチと選手という立場で同じチームとなった。引退は突然、聞かされた。それまではそういう姿は微塵も見せていなかった。寂しさも感じるが、42歳まで第一線で戦った姿を同じ世代の野球人の一人として誇らしく思っている。そしてこれからも、初三振を井口から奪えたことを誇りに生きていく。
(マリーンズ球団広報 梶原紀章)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)