21年間の現役生活に幕 井口資仁の偉大な野球人生を振り返る
ダイエー、ホワイトソックス、ロッテなどで活躍した井口
日米通算2254安打、295本塁打、1222打点の打棒、224盗塁の俊足に加えて、華麗な守備で日米のファンを沸かせ続けた男も、いよいよ勇退の時を迎えた。6月20日に今季限りの現役引退を発表した千葉ロッテの井口資仁内野手。9月24日の引退試合に駆け付けたファンは、最後の勇姿を目に焼き付けたことだろう。
井口は、国学院久我山高校を卒業後、青山学院大学に進学。東都大学リーグ史上唯一の3冠王、現在も破られていない大学通算24本塁打を記録して、4年時にはアトランタ五輪野球日本代表に選出される。1996年ドラフトで福岡ダイエー(現・福岡ソフトバンク)から1位指名を受け、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた。
1年目から主に下位打線で起用され、76試合に出場。プロ初出場となった5月3日の近鉄バファローズ戦では、日本人選手としては史上初となるデビュー戦での満塁本塁打を放ち、早くからその優れた才能とスター性を発揮する。プロ5年目の2001年には、30本塁打を達成して松中信彦氏・小久保裕紀氏・城島健司氏と「30発カルテット」を形成するとともに、盗塁王、ゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞した。
2003年も、「ダイハード打線」を象徴する「100打点カルテット」の一員となり、自身2度目の盗塁王に。最終的には、走・攻・守でチームの3度のリーグ制覇、2度の日本一に貢献し、2004年オフにMLBに挑戦することを表明する。
2005年、ホワイトソックスに入団し、1年目でワールドシリーズ制覇に貢献すると、日本シリーズとワールドシリーズの両方を制覇した初の日本人となった。打席では2番打者として自己犠牲に徹することが多かったが、そのように制約の多い立場でも結果を残し、今もシカゴのファンの記憶に残る偉大な選手の1人となっている。
その後、2球団を渡り歩いた井口選手は、2009年に千葉ロッテに。2004年以来、5年ぶりの日本球界復帰を果たす。2010年にはクライマックスシリーズで古巣の福岡ソフトバンクを下して日本一に輝き、2013年、日米通算2000本安打の偉業を達成した。
そして、球界最年長野手として臨んだ今季のシーズン途中、6月20日、現役引退を発表。会見では「まだシーズンの途中ですが、今シーズン限りで引退することを決めました。ここまで長くプレーしてきて、色々な思い出はありますが、まだ振り返りません。今は1つでも多くの勝利と1つでも上の順位を目指し、チームの力となって全力を尽くしていきたい。打席に入るときのマリーンズファンの声援は力になります。残りの試合でも今まで以上の熱い声援をよろしくお願いします」と、あくまでもペナントレースを戦う千葉ロッテの一員として、前向きな言葉を口にしていた。