遅咲きのスラッガー・森野将彦 控えから背番号を7度変えて掴んだ成功

今季限りで引退した森野将彦【写真:荒川祐史】
今季限りで引退した森野将彦【写真:荒川祐史】

プロ入り10年目で三塁手として定着、中軸としてチームに貢献

 森野将彦は、東海大相模高校時代から強打の内野手として知られていた。2年生時に春の甲子園に出場、この年優勝した観音寺中央高校に2回戦で敗退したものの、その打撃センスはプロからも注目され、1996年ドラフト2位で中日に入団した。

 1年目から1軍の試合に出場。デビュー戦となった8月29日ヤクルト戦で初本塁打を打ち、注目される。ポジションは遊撃手。当時の中日は遊撃手が固定できていなかったため、打撃がいい森野は高卒1年目ながら有力な候補とされた。

 しかし、翌年になって阪神から久慈照嘉、KBO(韓国プロ野球)から李鍾範が移籍。攻守に未熟だった森野は1998から2年を2軍で過ごした。2000年に再び1軍に昇格するが、なかなかレギュラーの座は奪えず。この間、一塁、二塁、三塁、さらには外野も守り、ユーティリティ的な起用をされた。

 ようやく規定打席に到達したのは2006年のこと。荒木雅博、井端弘和の「アライバコンビ」が、リーグ屈指の二遊間に成長する中、森野は主に三塁手としてプレー。この時すでに28歳、プロ入り10年目を迎えていた。

 だが、この頃から長打が増え、森野は次第に中軸打者として存在感を増す。2008年には打率.321でリーグ5位となり、2009、2010年には全試合出場。2年連続でリーグ最多二塁打を放った。2010年の45二塁打は歴代8位の好記録だ。この年は三塁手としてベストナインにも選出された。

 それ以後も中軸打者として活躍。2013年は序盤は二塁と三塁を守ったが、終盤には一塁手として先発する機会が増え、2014年には一塁手に完全コンバートされ、ゴールデングラブ賞を受賞した。

 どこでも守れるユーティリティプレーヤーからスタートして、森野は不動の中軸打者へと成長した。右投げ左打ち。苦手とした左投手の克服が課題だったが、一方で右投手は非常に強く、毎年3割前後の打率を残している。バランスのいい中距離打者で、ライナー性の打球を広角に打つことができた。

 森野将彦と言えば「背番号」だろう。「7」からスタートし、8、16、8、31、30、7と7回も背番号を変えている。さらに、1997年の入団発表時のみ「56」をつけていたこともある。沖縄県北谷町で行われる春季キャンプでは、しばしば取材陣から「今年の森野は何番だったっけ?」という話題が出るほどだった。実力はあれど、なかなかレギュラーに定着できなかっただけに、ゲンを担ぐ気持ちが強かったのかもしれない。

 通算1581安打のうち、10代、20代での安打は606本に過ぎない。30代になって約62%にあたる975安打を打っている。早くからレギュラーになっていたら、2000本安打も夢ではなかっただろう。

 引退後は中日の打撃コーチに就任。来季からは背番号は「75」で新しいスタートを切る。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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