栄光をつかむため帰ってきた「7」 松井稼が西武で残してきた輝かしい実績

西武の出陣式で背番号「7」のユニフォーム姿を見せた松井稼頭央【写真:(C)PLM】
西武の出陣式で背番号「7」のユニフォーム姿を見せた松井稼頭央【写真:(C)PLM】

西武時代の松井稼はどんな選手だったのか

 2018年は、所沢に埼玉西武が誕生して40年。チームは「CATCH the FLAG 2018栄光をつかみ獲れ!」というスローガンを掲げ、2008年以来の頂点を目指す。そして、この記念すべきシーズン、かつてのスーパースター・松井稼頭央外野手が15年ぶりに帰ってくる。

 しかし、松井稼が楽天のユニホームを着ていたのも7年という長い期間。若いファンにとって松井稼は、楽天の選手というイメージが強いのかもしれない。そこで今回は、西武時代の松井稼がどのような選手だったのか、改めて振り返ってみたい。

 1993年のドラフトで西武から3位指名を受けて入団。PL学園高校では投手を務めたが、野手としてのプロ入りだった。圧倒的な身体能力と類い稀な野球センス、未経験だった遊撃守備と両打ちをものにする不断の努力が実り、2年目に早くも1軍に定着すると、走・攻・守揃った正遊撃手として、一気に球界のスターダムにのし上がった。

 1996年から8年連続で全試合に出場し、1997年から3年連続で盗塁王に輝く。1998年にはリーグMVPを受賞し、2002年にはスイッチヒッターとしては史上唯一となるトリプルスリーを達成。華麗な守備でゴールデングラブ賞も4度受賞しており、走・攻・守における輝かしい記録は枚挙に暇がない。

 さらにその華やかな容貌も人気を博した。トレードマークの金髪と青いユニホームで躍動する姿は、全国の野球少年と女性ファンを魅了。西武の「7」に強烈に憧れてプロになったという現役選手も少なくはないほどだ。そして、メジャーリーグと楽天でそれぞれ7年間プレーしたのち、松井稼は今再び、埼玉西武の「7」を背負う。

 1月26日の出陣式では「7」の青いユニホーム姿がお披露目され、松井稼は「ここからまた始まるんだなと。身が引き締まる思いです。どんな形でもチームに貢献したい」「ライオンズでは日本一になっていない。所沢でパレードがしたい」と語った。

 テクニカルコーチを兼任するかつてのスーパースターは、必ずやチームの勝利に有形無形の貢献を果たしてくれるはずだ。球団誕生40周年。10年ぶりの「栄光をつかみ獲る」舞台は整っている。

【動画】1月26日に行われた出陣式にて、“西武”松井稼頭央が背番号「7」をお披露目!

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