ヤクルト復帰、青木宣親が再びつける背番号「23」の系譜

ジャイアンツ時代にも23を付けていた青木【写真:Getty Images】
ジャイアンツ時代にも23を付けていた青木【写真:Getty Images】

青木が7年ぶりに日本球界復帰、再び「23」を背負う

 MLBで通算774安打、打率.285をマークした青木宣親が、7年ぶりにヤクルトに復帰することになり、5日には支配下選手登録が公示された。青木はヤクルトの最終年には背番号「1」をつけていたが、今は山田哲人がつけているため、入団時の「23」で再スタートを切ることになった。

 背番号「23」は、スワローズでは重要な背番号ともいえる。これまでに18人の選手がつけている、ヤクルトの歴代「23」は以下の通りだ。

〇1950-67年
1950年 山口礼司 外 9試合8打数1安打0本塁打0打点 打率.125
1951-1952年 木下雅弘 捕 23試合36打数8安打0本塁打1打点 打率.222
1953-1954年 安居玉一 外 228試合860打数217安打11本塁打90打点 打率.252
1955-1956年 松橋義喜 捕 1試合0打数0安打0本塁打0打点 打率—
1957-1967年 飯田徳治 内 700試合2185打数568安打32本塁打191打点 打率.260

 初代「23」の山口は、東京鉄道局から国鉄スワローズに出向を命じられた鉄道マン選手だったが、わずか1シーズンで引退した。安居玉一は戦前から阪神で活躍した名内野手で大洋を経て国鉄へ。「23」は大洋時代からつけており愛着のある背番号だった。飯田徳治は南海の「100万ドルの内野陣」の一塁手。MVPもとったスター選手だ。もともと東京鉄道局出身だった縁もあり国鉄に移籍。背番号は南海時代からつけた「23」。現役時代からコーチを兼任し引退後は「23」のままコーチ、監督と指導者の道を歩み野球殿堂入りしている。

〇1968-91年
1968-1976年 簾内政雄 投 135試合9勝9敗2セーブ 防御率4.19
1977年 槌田誠 外 39試合29打数3安打0本塁打0打点 打率.103
1978-1982年 柳原隆弘 外 152試合209打数33安打4本塁打16打点 打率.158
1983年 萩原康弘 内 10試合8打数0安打0本塁打0打点 打率.000
1984-1990年 酒井圭一 投 120試合1勝3敗0セーブ 防御率4.76
1991年 石橋貢 外 1試合0打数0安打0本塁打0点 打率.—

 簾内(すのうち)政雄は、中継ぎ投手。槌田誠は立教大時代三冠王になった捕手で巨人では代打が多かったが、キャリア最終年にヤクルトに移籍。「23」は巨人時代からつけていた。柳原隆弘は大商大からドラフト1位でヤクルトに、強打が期待されたが振るわず近鉄にトレード移籍している。酒井圭一は長崎海星高校時代、「サッシ―」というあだ名で甲子園を沸かせた大型投手。入団時は背番号「18」だったが、8年目に「23」になった。

投手のイメージが強い「23」、04年の青木は野手として23年ぶり

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