西鉄ライオンズの“キャップ“ 1番打者のイメージを変えた故・高倉照幸氏
長打も打てる「大型1番」、「切り込み隊長」として強力な西鉄打線を牽引
“キャップ”の愛称で親しまれた西鉄ライオンズ全盛期の外野手、高倉照幸氏が2月12日、死去した。83歳だった。
高倉照幸は1934年、熊本生まれ。野村克也、長嶋茂雄らの1学年上。西鉄打線でともに活躍した故豊田泰光と同級生。熊本商業時代に選抜に出場。1953年、西鉄ライオンズに入団。入団時は投手だったが、打力を活かすために外野手に転向した。
2年目の1954年には大下弘、関口清治という大物外野手に伍して中堅を守る。右打者。強肩でも知られた。翌1955年には規定打席に達し、17本塁打、71打点、33盗塁、打率.276(20位)。主として6番打者で勝負強いところを見せたが、1957年には名将・三原脩監督が高倉を「一番・中堅」に据える。
従来、一番打者と言えばコツコツと当てる当てる短距離打者の持ち場とされたが、高倉は長打も打てる「大型1番」であり、「切り込み隊長」として強力な西鉄打線を引っ張った。
ちなみに1957年の西鉄打線は
1中堅手 高倉照幸
2遊撃手 豊田泰光
3三塁手 中西太
4右翼手 大下弘
5左翼手 関口清治
6一塁手 河野昭修
7二塁手 仰木彬
8捕 手 和田博実