「自分もそれができていたら…」 陽岱鋼の兄が語る日本時代の悔い

弟と従弟へ送るエール、「頑張っていれば努力を認めてくれる」

 一方、日本の練習は非常に厳しく、最初は慣れることができなかったと語る陽。「日本では子供の時から厳しい練習をしているので、そういう練習環境にも慣れているのだと思います。昔は台湾でも厳しい教育がありましたが、今は子供の時は技術よりもコミュニケーションを大切にしています。決して緊張感のない練習をしているわけではありませんが、日本とは厳しさの度合いが違います」と話す。

 日本の投手は制球力があり、ボールの質もいいが、それは日本にはコーチに教えてもらったことをそのまま実行している選手が多く、さらに厳しい練習を積み重ねているからだと、陽は考えている。帰国後は台湾球界も日本のように変わってきていると感じているというが、球団数の壁も感じているようだ。

「今は打者としてプレーいるので、相手投手について研究して打席に入るものの、対戦相手は3球団しかありません(※台湾は4球団)。相手の配球には慣れ親しんでおり、体が慣れてしまっているところがあります」

 そう話す陽は、日本では11球団と対戦する中で、厳しさとともにレベルアップを実感していたと振り返る。

 その日本球界では現在、弟の陽岱鋼と従弟の張奕外野手(オリックス育成)がプレー。陽岱鋼とはあまり話す機会はないそうだが、「今シーズンもチームに溶け込んでいい成績を残して欲しい」とエールを送る。また、張奕に対しては「頑張っていれば努力を認めてくれる。きっと支配下登録されるから根気強く頑張って」と電話で励ましているそうだ。

 自身の経験から、海外のチームでプレーする際は言葉を早く覚えることが大切だといい、「自分から心を開かないとチームに馴染めない。自分も日本にいた時にそれができていたら、もっといい成績が残せたと思います」と後悔をにじませる。それでも、「日本の選手は練習にも全力で取り組んでいた。気持ちの面は今でも役に立っています」と笑顔で収穫を話す陽。35歳のベテランは、日本での経験を糧にして、台湾の強豪チームでプレーを続けている。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

RECOMMEND