「本当に『やーめた』って」―阪神西岡、引退を決意した大怪我から得たもの

福留との交錯も「80%くらいでポンッと捕球できていたかも」

「野球においても生活においても、自分の甘いところ全てと向き合える時間があったんですよ。野球と真剣に向き合うようになったのは、アキレス腱が切れてから。もちろん、20歳の時も21歳の時も、当時の考えの中では手を抜いたことはないし、野球を一生懸命していた。アメリカに行った時も、僕の中では一生懸命だった。でも、アキレス腱が切れた後で、21歳の時やメジャーに行った時を振り返ると『もっとこういう風にしておけばよかったな』ということがいっぱいあるんです。反省点がすごくいっぱい。

 自分のダメだったところを否定というか、自分自身でバッサリ切っていく作業が、すごく精神的にはしんどかったです。でも、そこで向き合わないと、次のステップに進めない。この作業をしたことで『こういうトレーニングをしたら、自分のここが伸びるんじゃないか』とか、気付きが生まれるようになりました」

 アキレス腱の怪我は癒えたが、その痕は今までに感じなかった体の張りという形で残った。だが、気付きを持って現状と向き合い、練習前後はもちろん、休日も体のケアや準備に多くの時間を掛けるようになったという。若い頃から気付きを持ったトレーニングや準備をし、自分の能力を伸ばせていたら、2014年に福留と交錯した“事故”も防げていたのでは、と話す。

「当時、今の気付きを持ってトレーニングをしていれば、もっとスピードが出て、3歩早く打球の落下地点に入れていたかもしれない。そうすれば、ライトを見る余裕ができたかもしれないし、もっと声を出して福留さんを制止して捕るくらいの余裕があったかもしれない。あの当時は、あのプレーが僕の中では120%くらい全力だった。でも、トレーニングをしていれば、80%くらいでポンッと捕球できていたかもしれない。そう考えています」

 後悔のない人生はない。「だからこそ、後悔を少しでも減らしていけるような行動をしていきたいなっていうのが、今の僕自身の目標ですね」。そう迷いなく言い切ると、スッキリとした表情で真っ直ぐ前を向いた。(続く)

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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