「母ちゃんのために…」ホークス甲斐が誓う活躍、ひたむきで実直なワケ

甲斐が2歳のときに両親は離婚、母・小百合さんが女手1つで育ててくれた

 小学校1年生の時に野球を始めた甲斐。兄・大樹さんに憧れ、白球を追うようになった。中学校では大分リトルシニアに入り、高校は兄がエースとして甲子園に出場した楊志館高校へと入学した。「僕らは気持ちよく野球をさせてもらっていました」。野球をできる環境を整えてくれていたのが、母・小百合さんだった。

 甲斐が2歳の時に両親は離婚。そこから小百合さんは女手1つで息子たちを育てた。時間の融通が効くように、そして何かあった時にはすぐに動けるようにとタクシードライバーになった。運転手だけではなく、夜にはパチンコ屋の清掃なども行なっていたという。「相当、大変だったと思います。1つだけではなく、2つ3つぐらい仕事をしていました。ちゃんと寝ているのかなって心配に思うぐらいだった」。

 育成選手でホークスに入団したものの、当初は苦しい思いしかなかった。ファームのコーチから厳しい言葉をかけられ、ドラフト1位で入団した同期の捕手・山下斐紹と常に比較された。何度も折れそうになったが、踏みとどまれたのは母の存在があったからだ。「母ちゃんのことを思えば、頑張れました。母ちゃんの大変さに比べれば、自分のしんどさなんて小さいものだな、と。母ちゃんのために頑張ろう、というのが1番でした」。苦しい時を支えたのは、いつも母だった。母が懸命に働いて続けさせてくれた野球だからこそ、どんな些細なことにも手を抜くことを許さない。

 昨季大ブレークを果たし、侍ジャパンの一員にもなった。それでも、ひたむきな努力を続けられるのは、もっともっと母へ恩返しがしたい思いがあるからだ。母は長年勤めていたタクシー会社を辞めた。息子が1軍での試合に数多く出場できるようになったことで、より一層の融通が効くようにと、個人タクシーの営業を始めたのだ。

「ゆっくりすればいいのに、と思うんですけどね。母ちゃんは『働かなくなったら、死んでしまうわ』って言ってましたね」。そう言うと、甲斐は笑った。長く、苦しいシーズンがまた始まる。2018年は、2017年以上に厳しい1年となるだろう。でも、甘えていられない、負けられない。甲斐は必死に、ひたむきに戦い続ける。チームのため、優勝するため、そして、返しても返しきれない愛情を注いでくれた母のために――。

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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