連続出場止まった阪神鳥谷 15年の功績と数字で見る記録ストップの分岐点

阪神・鳥谷敬【写真:荒川祐史】
阪神・鳥谷敬【写真:荒川祐史】

29日のソフトバンク戦で出場機会がなく、2004年から続いた連続試合出場が止まる

 阪神・鳥谷敬内野手の連続試合出場記録が、29日のソフトバンク戦でストップした。今季は三塁から二塁にコンバートされたが、打撃不振で打率は1割台に低迷し、最近は代打や守備固めでの出場が続いていた。同戦では9回まで両チーム無得点という白熱した投手戦が展開され、鳥谷の出番はなし。2004年から続いていた連続試合出場は、1939試合でついにストップした。

 鳥谷は2003年、早稲田大学からドラフト自由獲得枠で阪神に入団。2004年の1年目から遊撃手、三塁手として1軍で起用された。連続試合出場がスタートしたのは、この年の9月9日、甲子園でのヤクルト戦。この時期、鳥谷は打撃不振でスタメンを外れ、代打、守備固めでの出場が多かった。この日も8回に救援の藤川球児の代打として出場して石井弘寿から三振。これが、NPB史上2位の大記録の始まりとは誰も思わなかっただろう。ちなみにこの日の阪神の4番左翼は現阪神監督の金本知憲、この日の阪神の出場メンバーで今も現役は鳥谷と前出の藤川球児だけだ。

 鳥谷は2年目以降、不動の正遊撃手となり、ベストナイン6回、ゴールデングラブ5回を受賞。3割を3回、打率ベスト10を5回記録。当初、本塁打は少なかったが、次第に長打力を増し、2009年に20本塁打、2010年には19本塁打で104打点をマーク。オールスターゲームにも7回選出されている。また選球眼も良く、現役1位、史上15位の1011四球をマークしている。

 鳥谷の連続試合出場に黄信号が灯ったのは、どこからだろう。

 2010年以降の鳥谷の遊撃守備記録を見てみると、ある変化が見て取れる。刺殺はフライや選手へのタッチなどで直接に打者、走者をアウトにした数。補殺はゴロ処理などで間接的に打者、走者をアウトにした数。RF(レンジファクター)は、1試合当たりのアウトにした数で守備範囲の広さを示す。()はRFの規定試合数以上の遊撃手中でのリーグ順位。

■守備範囲の広さを示す指標「RF」が2014年から低下

2010年 140試合205刺殺443補殺 RF4.63(3位5人)
2011年 136試合192刺殺389補殺 RF4.27(5位/5人)
2012年 144試合215刺殺468補殺 RF4.74(2位/4人)
2013年 144試合213刺殺476補殺 RF4.78(2位/3人)
2014年 144試合208刺殺363補殺 RF3.97(3位/3人)
2015年 143試合207刺殺380補殺 RF4.10(3位/6人)
2016年 118試合156刺殺286補殺 RF3.75(6位/6人)

 遊撃手のRFは通常4.5前後が合格ラインとされる。鳥谷は2011年に一度最下位に落ちたが、2012年には盛り返した。しかし、2014年以降RFの数値は下落。巨人の坂本勇人、広島の田中広輔などが4.7、4.8前後の高いRFを示す中で、鳥谷の遊撃守備は数字的に落ちてきていた。
 
 2016年の286補殺は、1位の広島、田中広輔の467よりも181個も少なかった。この年、打率も.236(26位)と下落。阪神首脳陣は翌2017年、鳥谷を三塁にコンバート。三塁手としても鳥谷は守備範囲は広くはなかったが、守備での負担が減ったこともあり打率.293(8位)と回復し、三塁手でゴールデングラブも獲得した。また9月8日には史上50人目の2000本安打も記録した。

 2018年、金本知憲監督は若手の大山悠輔を正三塁手にし、鳥谷を二塁に再度コンバート。今季の鳥谷は「2番・二塁」で開幕を迎えたが、打撃不振が続き、5月以降は守備固めや代打での出場が主となっていた。前日まで鳥谷は全44試合に出場したが、打席数は規定打席136に遠く及ばない83。このままでは2010年の阪神、金本知憲以来の「全試合出場、規定打席未達」という珍記録を生みかねなかった。

 阪神はリーグ最下位のチーム打率.231と、打撃不振に苦しんでいる。ただ、連続試合出場が止まったとはいえ、鳥谷のキャリアがこれで終わるわけではない。鳥谷は現在2025安打。阪神の最多安打記録である藤田平の2064安打まであと39本に迫っている。6月26日で37歳になるが、連続試合出場の重圧から解放され、新たな一歩を踏み出す時だろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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