広島丸、王貞治だけが達成した「出塁率5割」に挑む 球史に残る1年となるか?

10傑中7回登場する王さんでも出塁率5割超えは2回だけ

 現在の計算式で計算したNPBのシーズン出塁率10傑はこうなる(戦前のショートシーズンの時期を除く)。

1王貞治1974年.534(巨人/128安打158四球8死球)
2王貞治1973年.504(巨人/152安打124四球4死球)
3王貞治1966年.499(巨人/123安打142四球7死球)
4王貞治1965年.493(巨人/138安打138四球6死球)
5王貞治1967年.490(巨人/139安打130四球7死球)
6王貞治1976年.488(巨人/130安打125四球2死球)
7落合博満1986年.487(ロッテ/150安打101四球3死球)
8王貞治1977年.482(巨人/140安打126四球6死球)
9落合博満1985年.48063(ロッテ/169安打101四球3死球)
10バース1986年.48059(阪神/176安打82四球2死球)

 10位以内には王貞治の名前が7回出てくる。他には落合博満が2回、バースが1回だけ。868本塁打の大記録を樹立した王貞治は、勝負を避け歩かされることが非常に多かった。このため、出塁率も圧倒的な数字になっている。なおショートシーズンだった1938年以前では、1937年秋に景浦將(タイガース)が出塁率.515、1938年春に桝嘉一(名古屋)が.493を記録している。

 しかしその王貞治でも出塁率.500超えは2回だけ。今年の丸は、ロングシーズンでは王貞治以外には誰も記録していない”5割超え”に挑戦しようとしているのだ。丸が以降の試合にフル出場し、今と同じペースで出塁するとすれば、最終的には132安打141四球9死球になる。141四球はこれも王貞治が1974年に記録した158四球、1966年に142四球につぐ史上3位の記録となる。

投手が勝負を避けるのではなく、純粋な選球眼で出塁する丸

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