阪神「死のロード」は昔話に!? 京セラドームの主催試合で好成績残す

阪神・金本監督【写真:荒川祐史】
阪神・金本監督【写真:荒川祐史】

高校野球に甲子園を明け渡す旅暮らしの過酷さ

 夏の高校野球は8月5日から始まる。これに先立って阪神は甲子園球場を明け渡し、4日から京セラドームでヤクルトとの連戦に臨む。

 阪神は、高校野球の開催期間、甲子園球場を明け渡して他の球場で戦うのが恒例になっている。かつてはこれを「死のロード」といった。夏の過酷な期間、ホームタウンを離れて旅暮らしを強いられるからだ。阪神はこの時期に調子を落とし、戦線離脱することが多かった。

 35年前の1983年から5年間の「死のロード」期間の成績は以下の通り。厳密には、阪神はこの期間にもホームゲームがあった。福岡県の平和台球場を仮の本拠地としていたからだ。

 Hはホームゲーム、Rはロードゲーム。

1983年3勝6敗(H1勝2敗 R2勝4敗)
1984年3勝8敗(H1勝2敗 R2勝6敗)
1985年7勝6敗(H2勝0敗 R5勝6敗)
1986年3勝7敗(H0勝2敗 R3勝5敗)
1987年5勝7敗2分(H1勝0敗1分 R4勝7敗1分)
5年計21勝34敗2分(H5勝6敗1分 R16勝28敗1分)
勝率.382

 優勝した1985年を除いてすべて負け越している。またロードだけでなくホームでも負け越している。ホームとはいっても関西からははるか遠い福岡での試合は、遠征であることに変わりはなかった。本拠地のアドバンテージはなかったのだ。

 この時期の阪神にとって、高校野球選手権大会の開催期間中は文字通り、「死のロード」だった。

空調完備で甲子園より試合環境がいい京セラドーム

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