PL学園時代の思い出は「寮」 ロッテ今岡2軍監督が伝えたい「失敗のススメ」
15歳で親元を離れて寮生活「しんどいですよ」
今夏で100回大会を迎える全国高校野球選手権記念大会。長い歴史の中で数々の名勝負、ドラマが生まれてきた。今回Full-CountではNPBの選手、コーチたちに甲子園を目指した高校時代を振り返ってもらった。初回は名門・PL学園の今岡誠(現・ロッテ2軍監督)だ。
高校時代のことを問われた今岡は、「野球というより、寮生活の方が大変でしたね」と苦笑いした。
出身は兵庫県宝塚市。PL学園は全寮制のため、入学と同時に親元を離れ、先輩や仲間たちと寮生活を始めた。1年から3年まで8人が同じ部屋で生活し、炊事、洗濯、掃除などを分担する。野球エリートの集まりとはいえ、まだまだ多感な15歳だ。いきなり飛び込むことになった新生活に戸惑いもあった。
「野球がしんどくたって、みんなそれは中学から厳しい中でやってるわけだし、ある程度覚悟してきている。ただ寮生活がね(笑)。1年生で入りたての4月、5月は特にね。先輩との上下関係がなかったとしても、しんどいですよ。掃除しなくてはいけないし、今までやらなくてよかったのにやらなくてはいけないことがたくさんで」
名門野球部の門を叩いたのは、全国から集まった優秀な選手ばかりだ。入学した当時、3年生には入来祐作(元巨人・メッツほか)、2年生は坪井智哉(現DeNA1軍打撃コーチ)がいた。1学年下には松井稼頭央(西武)が入った。そんな厳しい練習や寮生活を共に乗り越え、結束力を高めた仲間と目指すゴールは1つ。甲子園出場だ。その目標を達成できたのは3年の春、1992年に開催された第64回選抜高等学校野球大会だった。