鷹・本多、引退会見1 一番印象に残っているのは「2010年のリーグ優勝」

引退会見を行ったソフトバンク・本多雄一【写真:藤浦一都】
引退会見を行ったソフトバンク・本多雄一【写真:藤浦一都】

通算342盗塁は現役選手で3位「よく走ってきたな」

 今季限りでの現役引退を決めたソフトバンクの本多雄一内野手が3日、ヤフオクドーム内で引退会見を行った。ホークス一筋で13年間、戦ってきた本多は、最後まで“ポンちゃん”らしい誠実さを貫いた。スーツ姿で壇上に上がり、質問に対して1つ1つ言葉を選びながら丁寧に答えるその姿は、これまでの本多らしく“誠実さ”に溢れていた。

 会見場に現れた本多は、まず冒頭、自らの言葉で今季限りでの現役引退を表明した。「みなさん、おはようございます。今シーズンをもちまして、プロ野球13年間の現役生活を引退することをご報告いたします。皆様には大変お世話になり、本当にありがとうございました」。その後、代表質問に対し、思いを言葉に紡いでいった。

 以下は、その主なやり取りの前半だ。

――引退会見としてここにいる胸の内は?

「正直、この日が今来るかと、それが率直な気持ちですし、今この場にいることが自分でも信じられないですし、同時に13年間のその思いが走馬灯のように思い浮かんできます」

――信じられない思いとは、後悔なども含めてか?

「後悔はもうないです。いろいろ13年間の思い出、そしてきつい時、苦しい時…うれしい時のためにやってきたので、後悔は今ないですけど、寂しさというのはあります」

――引退を決意した大きな要因と時期は?

「プロ13年間やらせていただきまして、2012年に首の方を痛めて、それから約6年プレーをしてきましたが、2012年から約3,4年は痛みが出たり、出なかったり。出れば薬を飲みながらという時期が続いてやってきましたが、去年くらいから首の痛みが出る回数も多く、思うようにプレーができず。やる気はあったんですけど、体は(やる気とは)反対方向に痛みが出て、自分が納得する動きができなかったこともあり、引く決断をしました。決めた時期というのは、決めたくはなかったんですけど…でも決めないといけないのが現実で、自分でもまだやれるんじゃないかと、そう思ってずっと考えていました。ただ、首のことを考えると、自分が痛みが出て野球ができない時期が続くのはもう嫌だと、気持ち的にすごい沈む時期があり、そういう思いもあり決断に至りました」

――自分がプレーできない中でチームメートの戦いはどう見ていたか?

「まず自分が全力で、元気バリバリでプレーしていた時期もありましたし、もちろんケガしてできない時期もありました。その中で、選手の活躍というところがすごく刺激になりました。その1人1人のプレー、そして1つの仕事というところを見て、僕もああやってやってたんだな、ああやって走ってたんだな、ああやってお立ち台に立ってたんだなという考えも出てきまして、それがケガしているときでも選手のおかげで『また、あそこに立ちたい』と思わせてくれたのは確かです。だからケガをしてでも、また治してあの舞台に立ちたいと、その一心で今年2軍生活を送っていました」

――350盗塁にわずかに届かなかった

「今、現役選手の中では3位と、改めてその数字を見ますと、ルーキーの頃から考えると『よく走ってきたな』と自分でも思います。と同時に、350盗塁が目標でもありました。でもやっぱり首のこともあり、思うように結果が出ないこともあり、成績不振で2軍行き。それはすべて自分の責任であり、自分の責任だからこそ、また奮起できたんじゃないかなと思います。350盗塁に関しては、達成したい気持ちは100%ありました。でも、今できてない現実を考えますと、考え方が合ってるかどうかはわかりませんが、342盗塁でもよくやったんじゃないかと、自分でも思います」

――引退を決めるにあたって相談した相手は?

「もちろん家族にも、子どもはまだわかりませんが、家内の方にも、そして両親の方にも、そして今までお世話になった方々にも相談はしました。その中で、特に両親は『あなたの野球人生、親がとやかく言うつもりはない。自分が決めたのなら(私たちは)納得する』と。一方、家内の方は現実を受け入れることができず、悩んだ時期が何日かありました。僕の方より家内の方が気持ち的に沈んだんじゃないかなと思います。その中で、いつか決断をしないといけない。引退するけども、自分がしっかりしないといけない。時が経つのは早いので、答えを早く出さないといけない。そう思って家内とはいろんな言葉をかけあって相談しました。今は家内も納得していますが、納得するまでかなりの時間がかかりました。両親と家内だけではなく、野球に携わった方たち。特に僕はスラッガーというメーカーを使わせてもらってますが、僕の担当者が毎日、毎時間のように電話をいただき、自分の精神的な面も気にしていただき、13年間共にしたその担当者は、きついはずなのに自分のことを盛り上げてくれて、精神的にもカバーしてくれて、そういう思いもあり決断にいたったと思います」

―― 一番印象に残っている試合やプレーは?

「13年間やらせていただいて、数多くの経験をさせていただきました。その中で、苦しい時の方が正直多いです。僕だけでなく、監督・コーチ・スタッフ・選手がリーグ優勝、日本一に向かってペナントが始まるわけです。そういう時に、自分が(入って)初めてリーグ優勝した2010年。最終戦で優勝を決めた時が自分にとって印象に残っていますし、それと同時に盗塁王を獲得できたことを思い出しますので、2010年の優勝を決めた時が印象に残っています」

(藤浦一都 / Kazuto Fujiura)

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