伝説の「10・19」を振り返る ダブルヘッダーで生まれた死闘と残酷な結末

当時のロッテで4番を務めていた高沢秀昭氏【写真:(C)PLM】
当時のロッテで4番を務めていた高沢秀昭氏【写真:(C)PLM】

近鉄、西武の優勝争いの行方を左右した10月19日の死闘

 1988年10月19日、川崎球場で行われたロッテオリオンズと近鉄バファローズのダブルヘッダーは、30年が経った今でも語り草だ。リーグ優勝に向けて、近鉄はシーズン最後の2試合で引き分けさえも許されず2連勝が必要な状況に迫られた。平成最後の今「10・19」と呼ばれる至極のドラマを振り返る。

 1987年のパ・リーグで最下位に終わっていた近鉄は、オフにヘッドコーチを務めていた仰木彬を監督に昇格させる。仰木にとっては監督初挑戦となるシーズンだったが、監督通算988勝を記録することになる後の名将は早くもその手腕を発揮してみせる。

 開幕8試合で7勝1敗という見事なロケットスタートを決め、その後もリーグ3連覇中と黄金期の真っただ中にあった西武とリーグ首位を争う。しかし、6月7日に好調だったチームへ激震が走る。

 実働5年間、461試合の出場で通算打率.331、117本塁打、322打点という素晴らしい成績を残し、確実性と長打力を兼ね備えた4番として活躍していたリチャード・デービスが、大麻の不法所持で逮捕されるというまさかの事態が知らされたのだ。

 突如として主砲を失った近鉄は、代役探しに奔走することに。そんな中で白羽の矢が立てられたのが、この年から中日に所属していた新外国人のラルフ・ブライアントだった。

中日から金銭トレードで獲得した最強助っ人ブライアント

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