伝説の「10・19」を4番打者が振り返る 阿波野を沈めた同点弾の背景【後編】

狙っていたスクリューを捉えた打球は左翼席へ飛び込む同点ソロ

 阿波野が最後に投じた球は、空振りをとっていた外目のスクリューボールだった。しかし、四球を恐れたのか、それよりも少し甘く入ったところを今度は高沢がとらえる。「泳ぎ気味だったが、バットがくるんと回ってヘッドが走った」という打球は、低いライナーとなってレフトスタンドへ飛び込む同点本塁打となった。

 スタンドはため息や悲鳴が飛び交った後、シーンと静まり返ったという。高沢はそのなかでベースを一周してホームイン。後になって考えれば、ホームランでなくても良かったか? という心境にもなったが、そもそもそんな余裕も技術もない。

 振り出しに戻った勝負は、9回裏のロッテの攻撃で2塁走者・古川慎一の牽制死をめぐって有藤通世監督が走塁妨害を主張して猛抗議。当時のパ・リーグ規定で、延長戦は4時間を越えたら次のイニングに入らないという時間制限があったために、場内から猛烈なヤジが飛んで騒然とした。

 判定が覆ることなく試合は再開され、辛うじてその回を抑えた近鉄は、最後の攻撃が確実となった延長10回表の攻撃にすべてをかける。だが、1死一塁から羽田耕一がセカンドゴロ併殺打に倒れて無得点。この時、時刻は22時40分前後を示しており、事実上、近鉄は優勝を逃した。7時間33分におよんだ「10・19」は、西武優勝という形で幕を閉じたのである。

 試合後の心境について、高沢氏が振り返る。

「引き分けというのが勝負の綾というか……。もやもやとしたものが残りましたね。とはいえ、あまり覚えていないんです。とにかく2試合続けてやったので、もう、疲労困憊でした。あとは球団の人が『外は近鉄のファンが多いから、帰りは気をつけろよ』と」

 実際には、少し時間をおいてから球場を出るようにしたせいか、帰宅時に興奮した近鉄ファンに囲まれることはなかったという。

西武のコーチを務めていた広野功から1本の電話が…

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