今年で通算39回目の対戦 日本野球を進化させてきた日米野球の歩み

現在の日米野球は侍ジャパンの実力を測る機会に

〇戦後の日米野球

1949年サンフランシスコ・シールズ 7勝0敗0分 日本チーム
1951年全米選抜 13勝1敗2分 全日本、全セ、全パ、巨人
1953年MLB選抜 11勝1敗0分 全日本、全セ、全パ、毎日ほか
1953年ニューヨーク・ジャイアンツ 12勝1敗1分 全日本、全セ、全パ、巨人ほか
1955年ニューヨーク・ヤンキース 15勝0敗1分 全日本、全セ、全パほか
1956年ブルックリン・ドジャース 14勝4敗1分 全日本、全セ、全パほか
1958年セントルイス・カージナルス 14勝2敗0分 全日本
1960年サンフランシスコ・ジャイアンツ 11勝4敗1分 全日本、巨人
1962年デトロイト・タイガース 12勝4敗2分 全日本、巨人、大毎、東映、南海、大洋ほか
1966年ロサンゼルス・ドジャース 9勝8敗1分 全日本、巨人、南海巨人連合ほか
1968年セントルイス・カージナルス 13勝5敗0分 全日本、巨人、南海巨人連合ほか
1970年サンフランシスコ・ジャイアンツ 3勝6敗0分 巨人、ロッテ、大洋、南海、中日
1971年ボルチモア・オリオールズ 12勝2敗4分 全日本、巨人、南海巨人連合ほか
1974年ニューヨーク・メッツ 9勝7敗2分 全日本、巨人、南海巨人連合ほか
1978年シンシナティ・レッズ 14勝2敗1分 全日本、巨人、大洋巨人連合ほか
1979年ア・リーグ・ナ・リーグオールスターズ 1勝1敗0分 全日本
1981年カンザスシティ・ロイヤルズ 9勝7敗1分 全日本、巨人、大洋巨人連合ほか
1984年ボルチモア・オリオールズ 8勝5敗1分 全日本、巨人、広島ほか
1986年MLB選抜 6勝1敗0分 全日本
1988年MLB選抜 3勝2敗2分 全日本
1990年MLB選抜 3勝4敗1分 全日本
1992年MLB選抜 6勝1敗1分 全日本、巨人
1993年ロサンゼルス・ドジャース 0勝2敗0分 福岡ダイエー巨人連合
1996年MLB選抜 4勝2敗2分 全日本
1998年MLBオールスターズ 6勝2敗0分 全日本、巨人
2000年MLBオールスターズ 5勝2敗1分 NPBオールスターズ
2002年MLBオールスターズ 5勝3敗0分 NPBオールスターズ、巨人
2004年MLBオールスターズ 5勝3敗0分 NPBオールスターズ
2006年MLBオールスターズ 5勝0敗1分 NPBオールスターズ、巨人
2014年MLBオールスターズ 3勝4敗0分 侍ジャパン、阪神巨人連合
2018年MLBオールスターズ 侍ジャパン、巨人

 戦後最初にやってきたのは、ジャイアンツ傘下のAAAのシールズだ。監督は讀賣ジャイアンツの名付け親でもあるレフティ・オドール。マイナーチームだったが、川上哲治、藤村冨美男などの日本を代表する選手たちは全く歯が立たなかった。

 1950年にセ・パ両リーグが分立。1953年以降は、2年おきに讀賣新聞社と毎日新聞社が、日米野球を行ってきた。当初は、NPBはMLBにほとんど勝てなかった。アメリカの選手たちは物見遊山気分で来日し、練習などもあまりしなかったが、1960年代後半から、NPBがMLBに善戦するようになり、真剣勝負の度合いが増した。

 1990年代に入ると、野茂英雄、イチローなどが日米野球を通じてアメリカの野球に触れて、刺激を受け、のちのMLB移籍の契機の一つとなっている。1994年にも日米野球が予定されていたが、MLB選手会のストライキによって中止になっている。

 21世紀に入ると、MLBに移籍した日本人選手が「故郷に錦を飾る」ケースも増えた。最近は、日米野球を通じてNPBに売り込みをかけるMLB選手も出てきている。また2013年に侍ジャパンが常設化されて以降は、侍ジャパンにとって実力を測る重要な試合となっている。

 今年の日米野球は、1908年以来39回目となる。MLBオールスターズは、結成後ハワイでミニキャンプを張った。侍ジャパンも合宿をしている。シーズンオフに入ったとはいえ、日米の実力は拮抗し、好勝負が期待される。この日米野球で、日本人選手たちはMLB選手から何を学ぶのだろうか?

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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