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マニエル、ブライアント、ローズ…話題に事欠かなかった近鉄の外国人選手

すでに1200人になろうとしているNPBの外国人選手。球史に残る選手も数多く出ている。今はなき近鉄の外国人選手も振り返っておこう。

マネー、カンセコ兄などビッグネームも在籍したが…

 近鉄には話題性の多い外国人が数多く入団している。

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 1969年のジム・ジェンタイル(ジムタイル)は、5月18日の阪急戦でソロホームランを打つも一塁に向かうまでに左足肉離れで走れなくなり、代走を送られた。本塁打での代走は史上初。この年のジムタイルは8本塁打だが7得点だった。

 近鉄外国人の最多勝投手、グレン・ミケンズは2桁勝利が2度、エース格だったが1963年8月21日の近鉄戦で、NPB史上初の1球勝利を挙げている。

 ヤクルトから1979年にやってきたチャーリー・マニエルは本塁打を量産していたが、6月9日のロッテ戦で死球を受け顎を骨折。復帰後はアメフトのようなフェイスガード付きのヘルメットで打席に立つ。在籍した2年間はともに本塁打王を獲得。

 マニエルはその後指導者となり。全盛期のフィリーズを率いる名将となる。

 1984年のドン・マネーはMLB通算1623安打の一流打者、5月6日までに8本塁打を打ったが、日本の環境になじめず、わずか29試合で帰国した。

 近鉄外国人の通算本塁打2位のラルフ・ブライアントは、中日では2軍暮らしだったが1988年6月下旬に近鉄にトレードされると残りの74試合で34本塁打。その後もホームランバッターとして活躍したが三振数もすさまじく、1993年にはNPB記録の204三振を喫した。

 1991年にはアスレチックスで2度の本塁打王を取ったホセ・カンセコの双子の兄弟のオジー・カンセコが入団。大いに期待されたが、似ていたのは顔だけで、打撃はさっぱり。2軍では8本塁打したものの1軍出場はなし。シーズン途中に退団した。

 近鉄最強の外国人は、タフィ・ローズだ。1996年に入団し、本塁打王3度、打点王2度、2001年には王貞治に並ぶ55本塁打のNPBシーズン記録(当時)をマーク。しかし財政難にあった近鉄は高騰するローズの年俸を負担できず、51本塁打で3度目の本塁打王を取った2003年オフに退団が決まる。ローズは巨人に移籍。翌2004年が近鉄球団そのものの最終年度となってしまった。

 近鉄が消滅して14年。今では近鉄でプレーしたことのある現役選手は、巨人への入団が決まった岩隈久志とヤクルトの坂口智隆、近藤一樹の3人だけとなった。

 個性的だった近鉄の外国人選手たちも、日本野球史の1ページになろうとしている。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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