外国人OB選手会の代表理事就任 元ハム・ミラバルのゴールは「日本で指導者」

日本ハムOBのカルロス・ミラバル氏【写真:豊川遼】
日本ハムOBのカルロス・ミラバル氏【写真:豊川遼】

2005年に右肩故障で無念の退団「本当はまた日本で投げたかった」

 2018年11月に立ち上がった「一般社団法人 日本プロ野球外国人OB選手会」。その代表理事に就任したのが元日本ハムのカルロス・ミラバル氏だ。退団から13年が経過した今でも日本に対する想いは尽きることがない。

 日本ハムが東京から北海道に本拠地を移してから14年が経った。2003年、東京時代最後の開幕投手を務めたのがカルロス・ミラバル氏。その後は2005年まで在籍し、今では東京-北海道の両時代を知る数少ない外国人選手だ。果たして退団後はどのような生活を送っていたのだろうか。ミラバル氏本人に話を聞いた。

 2000年に日本ハムに入団すると、初年度は19セーブを挙げる活躍。2年目以降は150キロの直球とナックルカーブを武器に先発として登板し、長年、投手陣を支えた。しかし、最終年となった2005年は勝ち星を挙げることができず無念の退団。通算成績は180試合に登板して39勝38敗37セーブ、防御率4.32だった。

 ミラバル氏は「2005年は右肩を故障して投げられなかったんだ。退団後は手術とリハビリのためにアメリカに帰ったんだよ。当時、僕が故障していたことを知っているファンは少ないんじゃないかな。本当は肩が治ったらまた日本で投げたかったよ」と振り返る。

 その願いは叶わなかったが、再び投球できるようになったとき、ヒューストン・アストロズとメジャー契約を結んだ。スプリングトレーニングで投げていたが、球団は治ったばかりのミラバル氏を1年通じての戦力になることは難しいと判断し、リリースを決めた。アストロズ退団後はアメリカ独立リーグの「ニューアーク・ベアーズ」に入団し3シーズンを過ごした。

 その後、しばらくは独立リーグで投げていたミラバル氏。2Aクラスと言われる「キャンナムリーグ」で投げていたとき、ドイツのブンデス・リーガ1部に所属するケルン・カージナルスから契約オファーがあった。そして45歳となった今季はドイツで監督兼選手としてプレーした。

 なかなか日本ではドイツ野球の情報を得ることは難しい。指揮官としても球界全体をみていた本人によれば「ドイツは1Aか2Aレベルだと思う。もちろん能力の高い選手もいるよ。我がチームには日本人選手もいるしね」と語る。ミラバル氏は今でも140キロ中盤の直球を投げることができ、野球への情熱は尽きない。

北海道移転後も東京のファンとの時間を大切にした日本ハム

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