「日本の常識が非常識」―“松坂世代”の久保康友が米独立Lに挑んだ理由(下)

アメリカ独立リーグ挑戦の理由を語った久保康友【写真:沢井史】
アメリカ独立リーグ挑戦の理由を語った久保康友【写真:沢井史】

NPB通算97勝右腕の新たな野球人生、ハングリーと感じるのは“日本目線”?

 2017年オフにDeNAを自由契約となり、米独立リーグへの移籍を選んだ久保康友投手。昨オフにアメリカ独立リーグのある球団との契約にこぎつけ、「チケットを送るからそれで来てほしい」と言われてから2か月以上が経過。練習をせずに待っていたため、練習をしていなくても加入できるチームをエージェントに探してもらい、アメリカンアソシエーション(独立リーグ)に所属するゲーリーサウスショア・レイルキャッツに入団することが決まった。ロッテ、阪神、DeNAと渡り歩き、通算97勝を挙げた右腕の新たな野球人生がスタートした。

 現地に到着後、久保は早速練習させてもらうようにお願いすると、相手の監督から「すぐ投げてくれるんじゃないの?」と言われた。どうやら契約の際に話の行き違いがあり、『練習をしていない』と言うとどのチームも契約してもらえないため、練習をしている前提で契約してしまったようだった。現状を説明すると監督は受け入れることを了承してくれたが、試合で使えるまでは無給になると言われた。その時点ですでに5月。シーズンは前半戦を折り返す時期にさしかかっていたが、まずは練習生としてチームに置いてもらうことになった。

 とはいえ、所持金にも限界があったため、早く投げたい一心で急ピッチで調整し、監督に直訴して実戦デビューを果たしたのは6月末。主に中継ぎだったが、抑える試合もあれば打たれる試合があり、結果は一進一退だった。そんな中、チーム内では「日本でバリバリ投げていたと聞いていたのに話が違う」とトレードの話が浮上。そこで移籍先となったのがシュガーランド・スキータースだった。

 スキータースが所属するアトランティックリーグは独立リーグの中ではレベルの高いリーグとして知られ、実力がつけばすぐにメジャーから声が掛かることが多い。ちょうどその時期、メジャーに数人の選手がスキータースから引き抜かれたため、次の選手を探していたという。久保の日本での実績を資料で見たスキータースの首脳陣が久保獲りに意欲的になった。レイルキャッツの監督からは「これはお前にとって栄転。メジャーに行けるチャンスだぞ」と背中を押してもらった。

「独立リーグの環境はこういうものだ」と開き直れば、何でも受け入れられる

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