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根尾、万波と並び1年夏から注目された男 東海大甲府・小野寺瑞生が進む道

昨夏、東海大甲府で背番号1を付け甲子園を目指した小野寺瑞生選手が、このほど同校を卒業し、4月から東都大学野球連盟二部リーグの東京農業大学に進学する。川崎中央リトルシニア時代は中学生ながら投手では143キロを投げ、打者では長打力も注目された“二刀流”プレーヤーだった。高校時代は2度、県大会の決勝で敗れ、甲子園出場は夢と消えたが、大学野球という次のステージへと向かう小野寺に高校野球の3年間やこれからの野球への思いを聞いた。

野球を続けるか、辞めるのか。父親と本音をぶつけ合って気づいたこと

 だから、野球を続けるか、迷った。4年間、同じように苦しむのなら、別の道も考えたかった。18歳の青年ならそういう考えになっても仕方がない。高校野球引退後に見た同学年たちが戦う100回大会の夏の甲子園をテレビ観戦した時は「純粋に大阪桐蔭、金足農の投手(吉田)はすごいな、と思って、一観戦者として見ていました」と振り返る。強がりではない。それだけ気持ちが野球からもう離れてしまったということを示していた。

 隣では父の智さんが一緒に野球を見ていた。小さいころから一番近くで小野寺の野球を見ていた存在だ。ある日、進路について、言い争いになったという。野球を続けた方がいいのではないかという智さんの考えに小野寺は反対した。

 しかし、最終的には父の意見に納得した。野球を大学で続けることを決めた。もう揺らぐことのない気持ちにさせてくれた、心に響く言葉があったからだった。智さんからこう言われた。

「プレッシャーや結果だけで、野球を嫌いになってほしくないんだよ」

 高校野球をやっている間、寮生だったこともあり、親と本音で意見のぶつかり合いをしてこなかった。父からは言葉では「活躍してほしい」と言われてはいたが、野球を通じて人間的な成長を望んでいたことを知った。

「親が見ているから、結果を出そうとか思っていたけど、それは自分の考えすぎでした。誰かのためにという感じで、自分のために野球をやっていなかったんだなって思いました。周りから期待されているからやっている感じでした」

 中学時代から根尾(中日)、万波(日本ハム)らとともに注目され、高校進学後も行く先々で、好奇の視線を浴びた。応援してくれる人からでも「頑張って」と言われることが重圧にもなった。周囲からの期待が力に変わることはなかった。

 でも、もうそんな自分とはサヨナラする。

「親の言葉もそうですが、どうせ終えるならば、プロでも大学でも、野球をやっていてよかったという実感を持ちたいな、と。不甲斐なく終わったので、最後は野球をやっていてよかったなと思いたいです。中学から高校までのことはもうリセットです。大学からは新たな自分として、一野球人として、4年間、進んでいきたいと思います」

 恵まれた体や能力を持っていても、心が折れてしまってはよいパフォーマンスは生まれない。心優しい18歳の青年は今までプレッシャーと闘ってきた。だが、喜びも苦しみも経験した3年間は、必ずこれからの4年間の礎になるだろう。

 小野寺は再び、野球に寄り添い、新しい一歩を力強く踏み出した。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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