子供にも現役選手にも大きな夢を― コンサル企業に就職した元燕左腕・久古健太郎の今
昨年限りで引退し、コンサル企業就職 選手経験者視点でスポーツビジネスを支援
2011年にドラフト5位でヤクルトスワローズに入団し、1年目にセ・リーグ新人記録(当時)となる22試合連続無失点を記録。左のセットアッパーとして、2015年のリーグ優勝にも貢献した久古健太郎氏。2018年に戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトを受けるも、引退を決意した。ユニフォームを脱いで3か月が経ったある開幕前の日、神宮球場に現れた。
スワローズカラーの緑色のネクタイを締めたスーツ姿で、小川監督や宮本ヘッドコーチに挨拶をしていた。引退後、久古氏はデロイト トーマツ コンサルティングに就職した。
「(再就職の)声もたくさんかけていただいたのですが、スポーツ選手の可能性を知りたくて、スポーツ選手が社会からどう見られていて、社会でどこまで通用するのか、純粋に知りたいと考え、アルバイトからでもいいという思いで一から就職活動をしました」
自分でホームページを見て、書類を作ってエントリーした。しかし、応募したほとんどの企業は、書類選考で不合格だった。しかし、「デロイト―」はそんな久古の思いにも耳を傾け評価し、採用してくれたのだった。
自らの力で第二の人生を切り開くため、パソコン教室などにも通い、努力を重ねた。クライアント企業に対して、課題解決のための提言やその実行を担うというコンサルティング会社に決めた理由は何だったのだろうか。
「今の時代、不確実で自分が入った会社が倒産することだってあるかもしれない。もし、そんなことがあっても自分がどこかから引っ張ってもらえるくらいの力をつけたい、自分個人の力をつけたいと思ったんです。本を読んで調べる中で、コンサルティングの仕事がとても力が身につく、とてもいいキャリアを積めるということを知りました。32歳からキャリアを付けるならそういうところでしっかりと揉まれて、一から力を付けたいと思いました」
コンサルティング会社といっても様々だが、久古氏は、野球選手だった自分を社会のためにも生かしたいと思い、スポーツビジネスも扱っている会社を選んだ。
「スポーツビジネスは、さまざまな分野の産業からも注目が集まっていて、もちろん、スポーツの分野で力を積んだ方も注目していますし、国もスポーツ産業の育成を目標に掲げています。自分の経験と社会に生かすことを考えた時に、スポーツビジネスに関わる仕事が良いと考えたんです」