「55」で挑む新シーズン 広島松山、新たな背番号に込められた思い

自らの意思で「44」から「55」に変更「次は俺しかいないだろ、と」

 背番号が変わるというのは大きな変化である。近年は監督交代のたびに大きく背番号変更を行うチームもある。しかし本来、背番号は選手の顔である。ヤンキースの1桁番号がすべて永久欠番になっているのはその例だろう。

 背番号変更時のことを語る際、平静を装ってはいるが、本心は悔しかったに違いない。しかし、背番号「44」を背負ってからの松山は別人のような活躍を見せるようになった。不調や故障との戦いもあったが、内外野を守り、チャンスに強い打撃を披露。チームに欠かせない存在となった。

 18年オフにはFA権を行使せず広島残留を早々と表明。それと同時に背番号を「55」へ変更することを発表した。

「それまでブラッド・エルドレッドの番号だった。彼が退団して、次は俺しかいないだろ、と思って球団にお願いした」

 結果を残し始めた「44」を今度は自らの意思で手放した。そこには「55」へ対する憧れや、かつての戦友たちへの思いもあった。

「同じ左打者で松井秀喜さんがずっと好きだった。ああいう打者になりたいと思っていた。もちろんあそこまで大物ではないですけど、少しでも近づけたらと思って」

「広島に入った時は嶋重宣さん(現西武2軍コーチ)の番号。良くしてもらった先輩だし、心から尊敬する人だった。その次のエルドレッドも個人的に仲が良かった。その2人の後に着けるのは俺しかいないだろ、とすぐに思った」

 4連覇の先に日本一奪取が待っている重要なシーズン、松山の思いは強い。

「やるべきことは決まっている。とにかく打つ、結果を残してチームに貢献する。誰もがそうやっていけば、結果もついてくる。勝ちたいですね」

 大好きだった先人2人が背負った背番号「55」。愛すべきキャラとは正反対の熱い思いを持つ「薩摩隼人」は、大きな覚悟を持って頂きを目指す戦いに挑んでいる。

(山岡則夫 / Norio Yamaoka)

山岡則夫 プロフィール
 1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページ(http://www.ballparktime.com)にて取材日記を定期的に更新中。

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