2000安打を目前に引退した男たち… 谷、井端ら名選手たちの引き際
阪急、オリックス、ダイエーでプレーした松永浩美は1904安打で引退
名球会が創設されてから、1900本代で引退する選手は永らく出なかった。以後で最初に1900本代で引退したのは、1997年の松永浩美だ。
松永浩美 1904安打(1981-1997)
松永は阪急、オリックスの中軸打者。「史上最高のスイッチヒッター」と呼ばれた、盗塁王1回。ベストナイン5回、ゴールデングラブ4回。1993年トレードで阪神に移籍。大いに期待されたが故障などで結果が残せず翌年にはFA移籍でダイエーへ。1年目は3割を打ったが、翌年から成績が下落し、2000本まで96本を残して97年に引退。
松永は引退後、プロ野球OB選手によるマスターズリーグに参加。福岡ドンタクズでプレーし、2006年11月25日、96安打目を打ちNPBから通算で2000本安打を達成(最終的には2003安打)。名球会は一時期、松永を「名誉会員」と認定したが、その後マスターズリーグが中断され、名球会自身も組織の変更があったため、今は名球会に松永の名前はない。
そこからまた時間が空いたが、2015年に1900本代で2人の打者が引退した。
谷佳知 1928安打(1997-2015)
井端弘和 1912安打(1998-2015)
谷佳知は、オリックス時代に安打製造機と称されたが、2006年にトレードで巨人に移籍。移籍1年目は3割を打ったものの、以後、成績が徐々に下落。40歳の2013年オフに戦力外となり、翌年通算1921安打で古巣オリックスに復帰。しかしあと72本を残して引退した。
井端は中日で、荒木雅博と史上屈指の二遊間と言われた「アライバコンビ」を組んだが、2013年オフに契約を解除され巨人に。控えの内野手としてプレーしたが、大学時代からの盟友、高橋由伸が現役引退し、監督就任するのに伴い、引退してコーチとなった。相棒の荒木が2017年に2000本安打を達成したことを考えると、もう少し現役プレーする姿を見たかった
1900本代は以後出ていないが、昨年も村田修一(元巨人、当時BCリーグ栃木)が、通算1865安打で引退している。
「もう少しで2000本安打」で引退した選手のうち、毒島を除く5人が「移籍」を経験している。生え抜き選手でなくなったために、「成績が落ちても2000本安打まで頑張る」ことができなくなったというところか。2000本安打をめぐる悲喜こもごものドラマは今後も続くことだろう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)