【あの夏の記憶】常葉菊川“伝説の二塁手”の今 驚きの守備練習法と失策続きの過去
福祉の道に進むきっかけとなった出来事は…「本当に励みになった」の一言
町田さんが福祉の道に進むきっかけとなった出来事があった。
選抜後、浜松に戻った町田さんに一組の親子が歩み寄った。障害を持つ子どもとその母親に「本当に励みになった」と声をかけられた。
「印象的だったし、ぐっときました。こっちは野球しかやっていないのに、喜んでくれた。ありがたかったです」
社会人野球を辞めてから、その後の人生で何をしていくか考えたとき、当時の親子の顔が思い浮かんだ。気持ちをすぐに切り替え、療育施設で働きながら、修行を積んだ。2017年から現在の施設を経営している。町田さんのところには、小学校低学年の子どもたちを中心に、40人から50人の子どもたちが在籍。それぞれの障害の度合いに合わせて、スタッフや家庭と協力をして自立をサポートしていくのが主な事業内容だ。
「『(障害を持つ子たちに)何か貢献できることはないかな』という気持ちだったのですが、今はそれが形になっていて幸せです。若いスタッフが多く、将来性のある事業所なので、長く地域に貢献していきけるようになったらいいかなと思います」
野球の指導のみならず、施設の経営においても子どもたちの“できる”に立ち会うことが喜びだという町田さん。グラウンドを駆けまわり、チームを幾度となく救ったあの夏一番の主役は、今はまた違った形で夢を与え続けている。
◇町田友潤(まちだ・ともひろ)1990年6月21日生まれ。静浦東ソフトボールクラブに所属。中学校は三島シニアで遊撃手。常葉菊川高校で二塁手に転向し、07年春にセンバツ優勝。08年夏準V。高校卒業後は早稲田大学に進学も、1年を待たずに退学し、翌年に社会人野球のヤマハに入社して現役続行。13年に腰痛で引退した。2017年5月から障害児の療育施設を浜松市内で経営する傍ら、母校・常葉菊川高校野球部の指導も行っている。
(安藤かなみ / Kanami Ando)