【あの夏の記憶】大谷、藤浪と「高校BIG3」称された中日濱田達郎が語る最後の夏と現在地

度重なる故障により、育成選手となって今季で3年目「今は野球ができることに、とにかく感謝」

「やっていて楽しいでしょうね。だって何千、何万といる高校球児の中で、特別な存在として取り上げてもらえるのは数人。そんな状況を楽しいと受け取るか、プレッシャーだと感じるかは本人次第ですけどね。少なくとも、僕が彼らの立場だったら楽しくて仕方ない」

 重圧を上回る高揚感こそ「特別」の証し――。注目され、活躍してナンボの世界。それをプロに入ってから痛いほど味わったからこそ、余計に思うのかもしれない。

 ドラフト2位で中日に入団後、デビューは鮮烈だった。2年目の2014年5月、登板回避した川上憲伸の代わりに緊急初先発を任され、6安打11奪三振で完封。その勢いのまま5勝を挙げた。だが、暗転は思った以上に早かった。その年の8月、試合中に左肘の靭帯を損傷。2016年には開幕ローテ入りするまで復活したものの、その後も故障に見舞われ、2017年からは育成選手として再出発を切った。

 左肘などの手術は、実に計4度。ここ数年はほとんどリハビリに時間を費やし、復帰間近になって制球難に陥ったこともあった。それでも腐ることのなかった背番号203は言う。「誰しもケガをすることはある。それが僕に4回まわってきただけ。今は野球ができることに、とにかく感謝しています」。一時、制球に苦労していた藤浪の姿にも「すごく気持ちは分かる」と思いやる。

 育成になって3年目。正念場のシーズンを迎えている。春先から先発や中継ぎで登板を重ね、少しずつ兆しは見えてきた。もうすぐ梅雨が明けると、アツい季節がやってくる。「テレビで甲子園を見ると『あぁ、あの舞台で投げたんだな』って思いますね」。輝いたあのころも、地の底から這い上がろうとする今も、自らを突き動かす思いは変わらない。「誰かに負けたくない」。時の経過をあまり感じさせない童顔な表情が、再起を一層期待させる。

(小西亮 / Ryo Konishi)

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