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【あの夏の記憶】鳴りやまない電話に「座布団を…」 アイドル球児だった定岡氏の喜びと苦悩

甘いマスクと好投で夏の甲子園を沸かせたプロ野球解説者・定岡正二氏が、熱狂の渦中にいた45年前の夏を振り返った。2年夏に続き、鹿児島実で甲子園に出場した1974年、3年生エースとして、鹿児島勢初めてのベスト4進出に貢献。帰路に就くと、世界はまるで変わっていた。“アイドル球児”にしかわからない驚きや苦悩を告白。また注目を浴びてプロの世界に進んだ後輩たちへ“エール”を送った。

長嶋茂雄監督がほれ込み巨人にドラフト1位入団、初勝利は4年目だった

 その後、巨人のドラフト1位としてプロ入りしても人気ぶりは健在だったが、入団直後は思うような結果が出せなかった。プロ初勝利は6年目の1980年。7年目に初の2桁の11勝。8年目に15勝を挙げたが、1985年、11年の現役生活を終えた。プロ入り当時のフィーバーぶりをどのように感じているのだろうか。

「僕は自分を見失っていたのかもしれません。周りからいろいろなことを言われ、10代の僕は消化しきれなかった。コーチから言われたことを『やらないといけない!』という思いもありましたし、マスコミ対応に慣れているわけではなかった。田舎の小僧がプロに入ってきた感じで、いろんなものに飲み込まれてしまいましたね」

 だからこそ、これからも誕生するであろう高卒の注目ルーキーに、届けばうれしい。

「自分のことを信じられるかどうかだと思います。僕はそれができなかった。まぁ、今の子はしっかりしているし、自分の意見も言える。僕の時は自分の意見を言ってはいけないような雰囲気でしたから……。周囲も、半年から1年くらいは自由に泳がせてあげてほしい。そこから気が付くものもたくさんあると思います」

 自分自身をしっかりと持つこと。自分の心を解放できる自由な時間もきちんと作る、周りも作ってあげることが大切だと説く。

 高校卒業後は自宅の前に観光バスが止まって見物人がやってきたこともあった。ドラフト1位の肩書でプロに入ったが、なかなか勝てず批判を浴びたこともあった。好奇の視線が集まる野球人生だったが、それも大好きな野球をやっていたからこそ。定岡氏は笑顔でこう締めくくった。

「苦しい時期もありましたが、今思うと、無駄な時間はひとつもなかったですね」

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