【あの夏の記憶】沖縄県勢初V 6試合783球を投げた興南島袋が思う“球数制限”「投げられない方が悔しい」

「一概には言えない」と、球数制限を求める声にも理解

 島袋は前段階として「いまは色々とあるので一概には言えない」と、賛否両論、双方の考えを理解した上で、甲子園の決勝まで戦い抜いた1人の投手としての意見を語ってくれた。

「僕個人的には気にしていなかったですね。しんどいとかは思ったことはないです。甲子園で投げられる機会がそうそうあるわけではないので、投げたいという思いしかなかったですね。そこを目指して、制限で投げられないとなると、僕個人としてはそっちの方が悔しいと思いますね。1ミリも後悔を感じたことはないですね。それまでに準備しておくのも、最後まで勝ち抜く過程としてやってきていたので」

「練習も相当やって、ケアもやって夏に臨んだ。投げるしんどさもなかったですし、そこに関しては準備してきたので全然いけますよという心構えでした。自分の立場なら、投げたいですね。それで負けるのも悔しい。ベンチから見ていたら、悔しいと思います。高校球児にとっては、将来よりも、目の前の試合を、というのは間違いないこと。そこを目指してやってきているものなので」

 甲子園を目指す、甲子園を勝ち上がるための目の前の一戦一戦が、その瞬間の人生の全てだったと島袋は言う。もちろん、将来がある選手たちの怪我を危惧する声も理解はできる。ただ、「その先を考える選手であったら何とも言えないですけど、僕はあそこで勝ちたいというのを優先していたので」と、9年前の自分に照らし合わせて語った。

「後々の怪我になったりとかすると、言われるじゃないですか。だから、どうなんですかね…。難しいなと思いますね。どっちも思うこともあるので」と島袋。最後の夏に783球を投げた左腕は“球数制限”には複雑な表情だった。

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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