資金不足で欠場危機だったフィジー代表、日本人の尽力で晴れ舞台に!

次なる目標「フィジーからプロ野球選手を」

 持田氏は2007年にフィジー日本大使館に赴任。08年から11年までフィジー代表監督を務め、17年に協会会長に就任した。苦労しながら野球不毛の地で、普及に尽力してきた。

 そんな時、白川前コーチが青年海外協力隊として14年にフィジーへ。持田会長と小学校を回り、一から野球を教えた。持田氏は当時をこう振り返る。「最初は『何それ?』という感じ。その中で関心を持った子が少しずつ集まってきて、大嶋コーチの指導を受けるようになった」。白川氏は大嶋コーチにバトンを渡して2016年に帰国。現在は地元で公務員として働いているが、今回は教え子たちの晴れ舞台を見ようと応援に駆け付けた。

「どんなタイプの選手でもいい。成功例を出したい」と大嶋氏は力を込める。中学ではシニアの強豪でプレーし、高校、大学と続け、世界に野球を広めたいとの思いから、青年海外協力隊に入った。夢はフィジーからプロ野球選手を輩出すること。「フィジーで野球を始めた子供が、米国でも日本でも豪州でも、どこかのプロリーグでプレーしてくれたら。『自分もああなりたい』という目標になる」と熱っぽく語った。

 持田氏は今後の目標を「フィジーで野球をもっと知っていただくこと」と言い切った。「裾野を広げた上で積み上げていきたい。ラグビー同様に、野球を頑張った子もその後のキャリアで成功するという形を作っていくのが協会の使命だと思っています。日本人としてのネットワークも使って、辞めてくれといわれない限りは(会長職を)続けていきたい」と今後もフィジー野球の発展のために尽くす覚悟だ。

 5戦全敗。オープニングラウンドで敗退したフィジー代表だが、最後まで笑顔でプレーする選手の姿は、観客の目に焼きついたはず。3人の日本人が、野球で世界を繋いでいた。

(工藤慶大 / Keita Kudo)

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